自動運転技術は本当に夢のテクノロジーなのか? AI、iPS細胞など様々な新しい科学技術が大きな社会変化をもたらしつつある。しかし そうした「人工物」は、これまでにない社会的問題を引き起こす可能性が高い。科学の哲学、工学倫理を研究する関西大学社会学部教授、斎藤了文氏が、新たな人工物社会の危険性を明らかにする。(JBpress)

(※)本稿は『事故の哲学』(齊藤了文著、講談社選書メチエ)の一部を抜粋・再編集したものです。

複雑化する「人工物」

 私たちを取り巻く社会は、人間が作り(創り)出した「人工物」であふれている。物理的な存在である製造物だけではなく、システム、ソフトウェアなど、現在の私たちの生活はもはや人工物なしでは成り立たない。純粋な自然の力によって引き起こされる「自然災害」とは違い、ある人工物が引き起こす予想外の被害を「事故」と、まずは定義したい。

 我々は、人工物を単なる道具として使っていると信じている。たとえば、ナイフのような単純な道具について考えてみよう。もし、そのナイフで誤って人を傷つけるようなことがあれば、その責任を負うのは使用者であろう。誰も「ナイフ」そのものに責任があるとは言いださないはずだ。

 だが、機械制御の比重が高い自動車で事故を起こした場合、ナイフの時と同様に、その責任がただちに使用者(運転者)にあると言えるだろうか。人工物が複雑化した現在、人と「もの」との切り分けは容易ではなくなってきている。もはや人は、複雑な人工物を単なる道具としてコントロールできなくなってきているといってよい。

 我々は自動車やスマホなど、様々な人工物に囲まれて暮らし、その恩恵にあずかっている。だが、そういった人工物は我々の世界にそれとは気づかぬまま介入し、ごく当たり前だと思っていた人間関係、社会、制度、法律を、これまでの考え方では理解できないものへと変えている。