報道の真実性

 ホワイトは国際宣伝処で「自身が脚色した」戦時報道の実例を2つ挙げている。

 一つは、日本軍に占領されていた浙江省のある所の劇場で、日本軍兵士が観劇中に蔡黄華(ツアイ・フアン・フー)という中国人女性が手榴弾を投げ込んで数人を殺し、無事に逃げおおせたという中国語の記事を目にしたことである。

 ホワイトは文字から忠実に「ミス・ゴールデン・フラワー・ツアイ」とし、「ゲリラの首領、中国抵抗戦士団の巴御前」と英語に翻訳し、少しだけ脚色したというのだ。

 すると、ニューヨーク・タイムズ特派員のダ―ディン記者を除き、通信員たちは飛びつき、各通信員の本社からは写真を要求してきたという。

 そこで情報部の同僚が、腰に二挺拳銃を下げた若い中国人女性の写真を提供すると、彼女は「二挺拳銃のゴールデン・フラワー嬢」となる。

 通信員たちはますます情報を欲しがり、情報部は気前よく彼らの要求に応じ、数カ月のうちに「ゴールデン・フラワー」ツアイは、蒋介石夫人に次ぐ抵抗運動のヒロインになったというのである。

 リライトマンの手にかかった彼女の偉業は、米国で伝説となり、ホワイトがタイム誌の極東部長になっていた3年後には、タイム誌で取り上げたらどうかとの提案が持ち上がり、作り話の張本人であったことを白状しなければならなくなったというのである。

 もう一つは難民と彼らの苦難についての記事で、1937年から38年の漢口陥落までの14か月間に、国民救済委員会は難民キャンプに2500万食配ったというものである。

 ところが「どうしてか間違って」、記事では「統計によると中国が抵抗を始めた最初の数年間に日本軍侵略者の手を逃れてきた人々の数は、2500万人にのぼる」となってしまったという。

 数字は海外に伝送され、新聞社の資料に残り、雑誌の記事に使われ、日中戦争の学術的数値となって何度も現われ、「すでに歴史の一部となってしまった」と述べる。

 実際は「二百万あるいは五百万だったかもしれない」が、「二千五百万という数字がほとんど全ての歴史書にしっかり残っている」ので、「日本軍による混乱を(正しくは)誰一人知ることはないだろうと悟った」と自省している。

 誰も否定できない「嘘」の独り歩きは、「南京大虐殺」の構図を想起させる。