中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。
最初は留学で中国に渡ったものの、学生生活を終えるにあたって、中国で働くことを選んだ。その後、さまざまな紆余曲折を経て、会社を立ち上げるに至り、試行錯誤の末に、なんとか事業を軌道に乗せることができた。うまく行った秘訣は何だったのだろうか。
【前回の記事】
「『楽して儲けようとするな』中国で教わった商売の掟」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54004)
気がついたら17年
貿易仲介をしたり、クレープ屋をやろうとしたり、翻訳サービスをやりながら、お客さんのリクエストに答える形で中国の新聞や雑誌に出ている日本企業の記事を集め、整理して納品するというクリッピングサービスをスタートし、そして収集範囲をインターネットの記事にまで拡大した。
その辺りで、僕と家内が立ち上げた会社の迷走はなんとか収まり、以後現在に至るまでほぼ変わらないサービスを提供している。その後、データの収集範囲は、SNSのクチコミやECサイトのコメントにまで広がったが、これもクリッピングサービスの延長線上にあるものだ。
薄給でにっちもさっちも行かなくなり、家内に尻を蹴られる形で立ち上げた会社だったが、今でもなんとか持ちこたえることができているのは、中国のマクロ環境とも大きな関係があると思う。会社を立ち上げてから現在まで、特に2001年から2010年くらいまでは、中国経済は毎年高い成長率を維持していた。最近は調子が悪いと言われてはいるが、それでもまだまだ成長の余地は大きい。
もちろんこの間、日中関係にはいろいろあったし、特に2012年に発生したあの島の問題では、仕事が全部ストップして会社を閉めようか本気で考えるところまで追い込まれたりもした。だが、2014年以降、“爆買い”が社会現象になったり、中国のIT技術やサービスが日本でも注目されるようになったり、日本へ好印象を持つ中国人の割合が過去最高を記録するなど、総じて中国ビジネスの環境は上りのエスカレーターだった。
この連載でも書いたが、僕は昔、日本語教師のアルバイトをしていた。その学校を設立したとある有名な実業家がこんなことを言っていた。