「人類が進むべき理想の方向性を指し示す仕事」

 ベルグソンも、サルトルも、またボブ・ディランも、一切ぶれることなく、私たち人間がどのように生き、どのような方向に向かって生きるべきかを示す仕事をしてきました。

 あるいは現在世の中に流布している誤謬を正し、権力の腐敗を告発し、虐げられた弱い人を庇い、新たな光をもたらすような仕事に、あくまで「旧西側」的な観点からですが、ストックホルムは光を当て続けてきました。

 このため、1973年にベトナム和平交渉の当事者として、米国のヘンリー・キッシンジャーとベトナムのレ・ドゥクトが受賞しますが、レ・ドゥクトは「いまだ平和は訪れていない」としてこの受賞を拒否しています。

 これに先立つサルトルの文学賞辞退のケースでも、ノミネートを知った時点でサルトルは「受賞したとしても受けることはない」との手紙をストックホルムに送っていたと伝えられています。

 しかし、「ノミネートから辞退」などという珍妙なことをする人は、かつて前例がありません。

再発防止に有害な作文は二度とやめてほしい

 今年の7月6日と26日、オウム真理教事犯で最高刑が確定していた13人の収監者に対して絞首刑が執行されました。

 この種のタイミングで、必ずと言っていいほどピントのボケた文を発表する村上春樹氏は、今回も毎日新聞に作文を投じ、辺見庸氏などから徹底的に批判されています。

 村上氏の話が素っ頓狂なのは、「オウム真理教事件」の全体像を見ず、すべてを「地下鉄サリン事件」だけに矮小化しているからだけではありません。

 事件後にデータマンやスタッフがおんぶにだっこで作ったインタビュー集を既成事実のごとく前提として、一般読者がなるほど、と思うような、本質と無関係なファンタジーを書き連ねる点にとどめを刺します。