米太平洋軍、「インド太平洋軍」に改称

米ハワイ・パールハーバーで開かれた太平洋軍司令官の交代式典に出席した(左から)ハリー・ハリス司令官、ジョゼフ・ダンフォード統合参謀本部議長、ジェームズ・マティス国防長官(右)(2018年5月30日撮影)。(c)AFP PHOTO / Thomas WATKINS〔AFPBB News

連結性を増すインド洋と太平洋

 世界の海洋は繋がっており、「海は1つ」である。

 インド洋では、古代地中海から紅海・アラビア海を渡り、現在のインド・パキスタンの沿岸に沿って頻繁に交易が行なわれていた。

 その歴史は紀元前3000年頃からと古く、古代の船乗りたちは、赤道海流と季節風のことをよく知っていて、海を渡って交易を行う能力を持っていた。

 しかし、人類の歴史がインド洋と太平洋を繋いだのは、大航海時代に入った16世紀初め、スペイン国王のために、太平洋を初めて横断したマゼラン(ポルトガル人)の航海まで待たなければならなかった。

 それまでの航海者の大半が、主に香辛料や金を求め、東回りでアフリカ南端からインド(アジア)へ向かったが、マゼランは西回りでインド(アジア)を目指そうとした。

 すでにアメリカ大陸は、1492年にコロンブス(イタリア人)によって到達されていたし、1513年、バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(スペイン人)によって太平洋の存在が欧州人に確認されていた。

 マゼランは、太平洋へと抜ける航路を求め、南アメリカ大陸東沿岸を南下し、最南端の海峡にたどり着き、太平洋につながる航路を発見した。

 それが後にマゼラン海峡と言われるようになり、そこを経て南太平洋に漕ぎ出したときに、たまたま波が穏やかだったことから「太平洋(Pacific)」と命名された。

 マゼラン一行は、現在のチリに当たる付近から西へ針路をとり、グアム島を経てフィリピンに到達したのが1521年であった。

 マゼランは、フィリピンでの島内対立に介入して殺されたが、その後残された一行はインド洋を超え喜望峰を回り、1522年にスペインへ帰国し、初めて地球一周を成し遂げた。