タケノコ。毎年、タケの地下茎から生えてくる。

「タケノコ」をテーマに、日本人との関わりを辿っている。前編では、日本でタケやタケノコが広まったのは意外と新しいといった歴史を紐解くとともに、モウソウチクなどの外来種が拡大の一途をたどっている状況にも触れた。

 放っていてもタケノコが生えてくる。森林や里山を蝕むタケの問題に打つ手はないだろうか。

 問題解決の期待を抱かせる取り組みが、愛媛県内で行われている。タケノコを「乾(ほし)タケノコ」にして多様な食材にする産業が育ちつつあるのだ。厄介者のタケノコを有効利用でき、増え続けるモウソウチクの抑制にもつながる一石二鳥の産業になっていくかもしれない。大洲市で乾タケノコづくりの第一人者に話を聞いた。

昔から保存食だった「乾タケノコ」を出荷

上川勝利(うえがわ・かつとし)さん。1944年、愛媛県大洲市生まれ。標高500mの山間地で40年にわたり建設業などのかたわら農業を営む。乾タケノコのほか、乾(ほし)シイタケや夏秋キュウリも生産する。2017年の第26回愛媛農林水産賞では奨励賞を受賞。

 愛媛県はタケノコ生産量全国9位。他県と同様、タケノコなどの資源としてタケを利用する以上にタケが生えている。2015年に4400haだった県の竹林面積は、2030年には1万3000haにまで拡大するという計算もあるという。

 愛媛県大洲市で農業などを営む上川勝利さんは、「昔は植林のほうが多かったのですが、モウソウチクが旺盛に増えていき、林に田畑にどんどん広がってきました」と話す。「家の床下から伸びてくるものもある。場所を選びませんからね」。

 採り切れないタケノコを眺めている中、上川さんは子どもの頃、一家が伸びたタケノコを切って湯がいて乾かして、保存食にしていたことを思い出した。「なんとかならないかと。それが始まりでした」。