「芸術はパッションだ!」と言ったのは岡本太郎氏である。大阪万博で建てられた「太陽の塔」を見ても、「感性のひらめき」そのもので、パッションだということをひしひしと感じさせる。
しかし、政治がパッションで行われていいのだろうか。
小泉純一郎首相の「民でできることは民で!」の一声による郵政解散や、イラク派遣に当っての「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ!」は、「パッション」政治ではなかっただろうか。
初期段階の平和維持活動(PKO)などには試行錯誤的な要素も多かった。しかし、国連ボランティアで活動していた中田厚仁氏や文民警察官の高田晴行氏の殺害事件も起きた。
当時の官房長官でPKOを管轄する国際平和協力本部副本部長であった河野洋平氏は状況を受け取っており、PKOについての反省、フォローアップをきちんとできないといけないと語っている。
文民警察官たちは武器携行不可であったが、法令に反して自動小銃を調達した者もいた。ほぼ10年の経験を積んだイラク派遣には、そうした現実を反映し、「PKO参加5原則」の見直しが必要であった。
しかし、揚げ足取りに奔走する野党と議論がかみ合わず、「文民統制(シビリアン・コントロール)」の本旨に悖る問答ばかりが交錯し、これに辟易した小泉首相が件の「非戦闘地域だ!」と絶叫してサマーワ(イラク)派遣が決まり、原則見直しのチャンスも失われた。
旧軍では靴に足を合わせると俗に言われた。不合理極まりない話であるが、小泉首相の答弁も冷静な議論の結果出てきたものではない。
パッション同然に「靴に足を合わせる」類のもので、しかも「非戦闘地域」の背後には暗黙裡に「犠牲者ゼロ」の含意があった。
リスクをことのほか強調し、人権を問題にする民主党政権も、「犠牲者ゼロ」の「派遣ありき」で南スーダンに自衛隊を派遣した。そうした中で、政権が変わり「のり弁当(多数の黒塗り)」と称される日報問題が発生した。
すべては憲法9条に基づくPKO参加5原則に由来している。石破茂元防衛相は「拙速に(憲法)改正を行うべきでない」と言うが、世間的に自衛隊が合憲と位置づけられていない矛盾が、内外で活動する自衛隊の阻害要因になっている。
いま再び、イラクや南スーダン派遣自衛隊の日報問題で、文民統制逸脱などが問われる現実に直面して、早急な憲法改正で、自衛隊を合憲化する必要性が浮かび上がってきたのではないだろうか。