(文:栗下 直也)
作者:安田 理央
出版社:太田出版
発売日:2017-11-18
大きいことは、いいことだ。
高度経済成長期、チョコレートのCMでこのフレーズが流行ったのを年配の人は覚えているかもしれない。20世紀は大きいものが正義の時代だったのだ。なんせ、野球は巨人、プロレスはジャイアント馬場である。名前からして、デカい。ビジネスの世界を見渡しても、米ゼネラルエレクトリックのようなコングロマリット(複合的多角化企業)が成功事例とされた時代が20世紀末まで続いた。大きいことはよかったのだ。だが、20世紀は大きなおっぱいには優しくはなく、決して巨乳の時代でなかったことを教えてくれるのが本書だ。
いささか、無理のある書き出しだが、一円にもならないものの、羞恥心を持ち合わせている身としては、「おっぱいの本です」とストレートには書き出しづらい。おっぱいの本なんだが。ちょっと賢く書けば、「近代日本において、巨乳がどのようにメディアで呼ばれ、扱われてきたかを考察している」とでもなるだろうか。春画から、シルヴァーナ・マンガーノ博士、麻美ゆままで言及する。こんな本が今まであっただろうか。「麻美ゆま」がわからない人は電車の中でなければイメージ検索してみてください。
読み進めると、日本人がおっぱいの大きさに興奮を覚える時代というのは二百年くらいをさかのぼってもつい最近の事象であることがわかる。江戸時代の春画では大きな乳房ところか乳房もほとんど描かれなかった。明治時代に黒田清輝の裸体画に対し、わいせつだとの議論が巻き起こり、描かれた下半身を布で覆った「腰巻事件」が起きたが、上半身はそのままだった。現代人からすれば、下がわいせつなら、上もわいせつだろと、頭隠して尻隠さずの状態に困惑してしまうだろう。何がわいせつかという議論は横に置くにして、こうした事象からも日本人はおっぱいに対する関心が低かったと著者は指摘する。
契機は「グラマー」と「11PM」
肉感的な魅力に日本人男性が惹かれていくのはいつか。明確になるのは戦後だ。ハリウッド映画の影響が大きく、当時、性的魅力にあふれた女性は「グラマー」と称された。興味深いのは当時の「グラマー」はあくまで性的魅力を示す言葉で、おっぱいが大きいというイメージを多くの日本人は持ち合わせていなかったとか。ここにも日本人のおっぱいへの関心の低さがうかがえる。
1959年には日本人女性が始めてミス・ユニバースで優勝。小柄でもグラマーと言うことで小さくても高性能な日本のトランジスタになぞった「トランジスタ・グラマー」という言葉が大いに流行った。