人材育成って、十把ひとからげではできないものだと思います。
そこで、前回少し触れた、オランダで聞いてきた「学生一人ひとりの100年の人生を考える」という話を、もう少しご紹介したいと思います。
日本は善くも悪しくも、高等教育機関が輩出する専門教育を受けた人材の数と現実社会の職の口の数がおよそ対応していません。大学院修士、博士課程まで、結構な税金も使って一人ひとり育てた基礎医学者や基礎物理学者の卵が、医学や物理学を研究する職につけない。
普通の臨床医になったり、総合研究所で株のシミュレーションの計算をさせられたりして、食べている。
彼ら自身には、割り切ってる人もあれば非常に残念がっている人もあり、千差万別です。ただし間違いなく言えるのは、完全な税金の無駄遣いだということです。
若者が二度とないティーンや20代の時間を使って精励した専門が、社会生活に全く生きない・・・。それも問題ですが、そういう事実をとりわけおかしいと思わない日本社会の方が、よほどどうかしていると思います。
前回も触れましたが、高校生に進路を決めさせるとき、親子や教師と生徒の間でどんな会話が交わされるでしょう。
子供に「好きなようにしていいんだよ」と言うのが、理解のある親と思われているのかもしれません。
でも、高校生が「理系進学」と言えば、学校も予備校も塾も、それ対応のメニューを準備するだけで、「なぜ理系?」といったことを問わない。
「Why(なぜ)?」という問いのない社会には、理由もありませんから必然性もありません。その結果、根っこの浅い、弱い若者が増えてしまうのではないかという懸念を持っています。