「そらええな。東京でもまだ、やってへんのかいな・・・」――。
東京へのライバル意識が極めて強い大阪では当時、財政的な余裕も後押しし、赤間文三大阪府知事(当時)はこう豪語した。
(大阪府企業局主体で)森林と竹やぶに覆われたジャングルのような手つかずの千里丘陵(1160ヘクタール)を造成し、計4万戸の住宅を建設するという世界的にも例を見ない壮大なプロジェクトにゴーサインを出したのだ。
日本初の大規模住宅都市「夢のニュータウン」と言われた、大阪・千里ニュータウンの誕生である。今から半世紀も前に遡る。
戦後復興の象徴だった千里ニュータウン
千里ニュータウンは、日本の高度経済成長期の1960~70年の10年ほどで建設され、その完成を待ち、1970年にはアジアで初めて「EXPO’70」の万博も開催された。
日本の戦後復興の象徴だった「未来都市・千里(Senri)」は、そのシンボルの岡本太郎作「太陽の塔」とともに世界的に一躍有名になった。
その後、東京の多摩ニュータウンなど、日本各地にニュータウンが続々と誕生する見本として、日本の開発型「元祖・ニュータウン」として名を馳せてきた。
あれから、50年。千里ニュータウンは今も、いろいろな意味で日本の、関西の“先をいっている”。
「住みたい町ランキング」では、全国の上位に関西勢で唯一君臨するのがこの千里ニュータウンを抱える吹田市だ。
今、全国40数箇所あると言われる“ニュータウン”では、人口減少が顕著だ。しかし、吹田市は2015年の国勢調査で人口が5.3%増(約37万5000人)で、地価も約16%増加。