山形県にある東北芸術工科大学で教鞭を執り始めてから1年が経過した。今年も企画構想学科の新入生の研修旅行に同行し、庄内地域を訪れた。
昨年初めて庄内地域を訪れた時には、同じ山形県内でも随分と風土が異なるという印象を持った(庄内地域は日本海沿岸であり、東北芸術工科大学がキャンパスを構える山形市は内陸部である)。2度目ということもあり、この地域の歴史を調べてみた。
現存する「日本一の大地主」の屋敷
「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に・・・・」
庄内藩といってまず思い浮かんだのが、この言葉だ。「殿様」にも、もちろん力はあったのだろうが、「本間様」というのが気になる。
戦争前まで大地主であった酒田の本間家は「日本一の大地主」と言われていた。全盛期には3000町歩の田地を持っていたというが、「3000町=約30平方キロメートル」と換算すると、現在の都内23区では「台東区」「千代田区」「文京区」を合わせたくらいの広さとなる。
本間家の旧本邸は「二千石格式」と呼ばれる長屋門構えの武家屋敷で、酒田の中心市街地に現存している。武家造りと商家造りとが一体の屋敷が日本に現存するのは非常に珍しいという。