最近のグルジア国内は外側からは至って平穏に見える。騒がしかったと言えば、日本でも報道された美人大臣スキャンダルぐらいだろうか。
ほとんど実務経験のないNGOを主宰する28歳のカナダ出身グルジア人女性を経済大臣に抜擢したところ、学生時代にナイトクラブで撮影した写真をネタにたたかれた、というものだ。
5月の地方選挙で与党が圧勝した後、グルジアでもっぱら関心を持たれているのは、ミハイル・サーカシビリ大統領が2013年の大統領2期目終了後も権力の座にとどまるかどうかである。
最近行われた憲法改正による首相権限の強化――それも実質上次の大統領の任期から――は、その可能性を強く示唆する。
サーカシビリ大統領自身も、彼が率いる「改革チーム」が国政を担当できるように尽くすのが自身の役目と繰り返し表明している。
つかみ所のない政局は、ロシアの場合と異なり、「2頭目」が見えないことにもよるが、ウラジーミル・プーチン首相もぎりぎりまで保留していた。いずれにしても、戦争に敗れた後、その権威がますます増大しているように見えるのは皮肉な事態である。
さて、こうした穏やかな夏を迎える前にグルジア政府が行った唯一「大胆な」措置は、ヨシフ・スターリン像の移設であった。出身地ゴリの市庁舎前に立っていたスターリン像は、6月25日深夜密かに、わずか数百メートル離れた生誕記念館内に移された。
スターリンは「グルジア人」
日本では、スターリンといえばソ連の独裁者ということで、「ロシア人」と思われがちである。一説にはオセットの血が流れているなどとも言われている。
しかし、スターリンはグルジア人イオセブ(ヨシフ)・ジュガシュヴィリ(ジュガシビリ)として育ち、グルジア人として生を全うした。
コーカサスでは「民族の血は絶対だ」と思わせるような凄惨な民族間紛争が繰り広げられているが、これはソ連時代の民族政策の負の遺産による(その多くは「グルジア人」スターリンによるところが大きい)。
グルジア人の有名家系の中には、(近隣民族の)「チェルケス人の子供」「アブハズ人」「レズギ人の子供」といった名前は少なくない。