第1回から第3回まで、ベラルーシでの勉強会で見聞した放射線に関する世界の常識について書いてきた。今回はその勉強会を通じて、私たち福島県民がすべきと感じたことを述べたい。それは、「記録に残すこと」だ。
福島第一原子力発電所事故の記録を残す意義は、大きく3つある。
まず、世界中が情報を求めていることだ。ベラルーシでも、現地の人の暮らしはどうか、放射線レベルはどうなのか、など「Fukushima」の状態に興味がある人は多かった。
一方で、公開されている情報はまだ少ない。現地ではすでに常識となっていることでも、世界では知られていない。
日本人も知らない多くの事実
福島の住民が放射線被爆に怯えながら暮らしていると考えている人が、世界には大勢いる。日本人でさえ、浜通りを案内したときに「意外と普通ですね」と感想を述べる人が多い。
これまで発表された記録では、福島県浜通りに住む人のセシウムによる内部被曝量は健康被害を来すほどの量ではないことが分かっている。
しかし、情報を知らないと、先入観のまま印象が固まってしまう。前回述べた被災地民への差別問題などに対応するためには、正しい情報が必要だ。
世界中が福島の情報を知りたがるのは、チェルノブイリ事故当時の記録が不十分だという理由もある。