外国の軍隊に傭兵として加わった日本人の体験談はいくつか出版されており、その内部事情は一般的にも知られている。しかし米軍の教育課程での体験記はほとんどない。世界最強の軍事力を誇る組織でどのような教育が行われているかは、日本ではあまり知られていない。
私は最近まで5年間アメリカの国防総省で働いた。私がいたのは空軍であり、勤務地はワシントンのペンタゴンではなくアメリカ南部の基地だったため、ここで伝えられることには限界がある。しかし、基地では陸・海・海兵隊も担当したので、米軍の各部隊の特徴などは理解することができた。
どの組織でもそうであるように、国防総省で働く際にはいくつかのメリットとデメリットがあった(振り返ってみると前者のほうが圧倒的に多かった)。今回は、それらについて紹介したい。
エリート佐官との仕事で得られたもの
まず、メリットとして挙げられるのが、「アクセス」できる範囲が大きく広がったことである。米軍で働くことにより、戦略から運用、組織などに関して、通常では知り得ないことを知る機会が多くあった。米軍以外の海外の軍隊や政府との交流も盛んで、我々教員も学生を率いて様々な機関と会議をこなした。
将来の米軍を率いることになるエリート佐官と毎日仕事をすることにより、彼らの考え方や個々の性格、癖、そして志向、人事システム、給与体系、階級制度、家族、社会との関係など、軍隊ならではの力学に直接触れることができた。ここで得た人間関係は学生の卒業後も続いており、彼らの何人かが近い将来将官に昇進するのを見届けられるはずだ。
私の勤務地であったアメリカ空軍大学には、将官や大使などの政府高官が毎週のように訪れて講義をしていた。彼らの講演は毎回オフレコのため外に出ることはなく、本音ベースの意見交換が行われた。そのような交流を通してリーダーシップ論や戦略論を学び、様々な情報を得ることができた。
公務での移動は米軍の軍用機(輸送機やヘリコプター)を使った。他の乗客や荷物と隣り合わせで長時間飛行するのだが、そこから学ぶことは多かった。飛行機の機能や特徴を教えてもらい、コックピットに座って地上との交信を聞かせてもらった。何よりも軍用機での長時間移動がいかに過酷かということが身に染みて分かった。
軍人を大切に扱っているアメリカ社会
別のアクセスの拡大という点では、世界中にある米軍基地にエスコートや予約なしで入ることができた。ハワイ、ソウル、そしてフロリダなどの米軍の保養地にも泊まれば、軍人がどのような環境で家族と休暇を取り、軍人の士気を維持するためにアメリカの予算がどう使われていることなどを知ることができた。
さらに、アメリカ社会と軍隊の関係も良く分かった。例えば軍隊の身分証明書を見せれば、美術館などの公共施設やレストランなどの料金が割引される。日系のカーディーラーでさえも割引があった。
アメリカには「退役軍人の日」という祝日がある。その日には、私が米軍で働いていることを知ると感謝の言葉をかけてくる。その人の文化的背景などに関係なく、アメリカ社会がいかに軍人を大切に扱っているのかが分かる。
また、米軍だけではなく、日本の自衛隊と一緒に仕事をする機会も多々あった。米国の基地の中や、もしくは私が訪日する際などに自衛隊の基地で、隊員の方々と交流し、彼らの生活を理解することができたのは貴重な経験であった。
シビリアンの「非効率的」なルール
一方、デメリットと思える点もいくつかある。
民間の大学教員にとっては、授業や会議のある日以外は拘束されないというのが一般的である。だが軍隊で働く文民(シビリアン)は、「必要のない」日でも通勤する必要があった。自宅勤務にするには毎回許可を取らなければならなかった。
もちろんシビリアンといえど軍隊であることを理解した上での勤務なので、不満など口にしないのだが、時には非効率的と思われることもあった。
例えば、基本的に仕事のメールは職場でしか読むことができない。そのためメールを読んで仕事をするためには、どうしても出勤する必要が生じた。しかし、メールを開けて読んでみると、実際はそのほとんどが自宅でもできる内容である。残りの多くも、別にその日に終わらせなくてもよい仕事がほとんどだ。それにもかかわらず、わざわざメールを読むために通勤時間を浪費しなくてはならなかった(ただし最終的にはこの規則に慣れて仕事の効率を上げることはできた)。
ちなみに軍人の場合は仕事用のラップトップを与えられていた。つまり、軍人に対しては自宅で仕事ができる環境を整える一方、シビリアンは基地まで行かなくてはならなかったのである。
研究者と役人という立場をどうバランスさせるか
自分にとって大きなチャレンジとして感じられたのは、研究者という立場と役人という立場のバランスを取ることだった。
もともと私は研究者として自由に研究をし、その結果を自由に発言するように訓練を受けていた。ところが、国防総省で働くと、役人として発言しなければならない。発言の自由を認める場所とはいえ、それが実務の世界に入り制限されるのである。
特に日米関係に関してはその葛藤と戦った。日本とアメリカの関係は本来こうであるべきだ、という意見を持つことは大切である。しかし自分の理想を、政策の場で主張することは注意を要する。特に米軍を代表する立場で、日本の方に利益があるのではないかと思われる発言をするのは気をつけなくてはならない。
軍の学校の場合、教員は強い意見と指導力を求められる。しかし明らかに日本の方に利益があると思われる意見を言うと、アメリカ政府の人間としての忠誠心を疑われかねない。
一般的に良好だと思われている日米関係も、掘り下げればTPPから沖縄の基地、日米地位協定まで問題が山積みである。報じられてはいない対立部分も存在する。私はそうした問題についてアメリカ政府の人間としての配慮が求められ、その状況に適切に応じなければならなかった。
研究者と役人のバランスを取る大変さは、その問題に入り込めば入り込むほど難しくなる。しかし逆を言えば、そのような環境で仕事をすることでプレッシャーに強くなり、あらゆる場面で外交的に振舞うスキルを身につけられたのではないかと思う。
米国人は日本に興味がないという現実
米軍で働くことで得られる大きなメリットをもう1つ書き加えておきたい。それは米軍が日本をどう見るのかを理解できることである。
日本の保守層の多くは、日米同盟を安全保障の要と捉え、期待を抱いている。日本がアメリカを想うのと同じくらい、アメリカも日本のことを常日頃から想っていてほしいと願っている。
しかし現実は米軍人のほとんどは日本のことをよく知らない。与えられた仕事はしっかりこなすが、それ以外の、日本の文化や風習に関してはとりたてて強い興味は持っていない。在日米軍や在日アメリカ大使館で働く多くの米国人にとって、基本的に日本はビジネスの対象でしかない。私が教えた学生にしても、日本の文化や風習に強い興味を持つ者はほとんどいなかった。
それはある程度、日本にいる米軍人を見れば分かることである。日本に長期滞在する軍人でも、厚木や嘉手納などの基地から外出し、地域と交流して日本の風習を積極的に学ぼうとすることは限られる。基地の中には子供のための学校もあるし、図書館、酒屋、ガソリンスタンド、ボーリング場、そしてスーパーマーケットまでが揃っている。基地内で流通しているお金も米ドルである。基地の中で充分にアメリカと同様の生活ができるのである。
したがって、日本に数年いるのにもかかわらず、広島や長崎には行ったことがあるが、他の場所に旅行したことはないという人を見かける。
日本とアメリカは文化や言語が大きく異なるため、交流には限度がある。そのため私が学生を日本に引率したときは、京都に連れて行き、大浴場付きの1泊5000円ほどの和風旅館に宿泊させた。日本の「わび」「さび」をできるだけ感じてもらうためである。
日本人が海外の軍隊で学べるもの
海外の軍隊で働く日本人は、異なる文化、言語、そして組織をつなぐ方法を知っている。そうした日本人を活用することは、日本の国益にあらゆる意味で直結するはずだ。日本は今まで以上に語学教育や安全保障の教育を整え、海外の軍隊で通用する日本人を育てるべきであろう。
海外の軍隊では文化の違い、行動様式、社会思想などあらゆるものを多く学ぶことができる。特に米軍で得られる視点や情報は、日本国内で得るものとは別次元のものだ。そうした経験は、国際性に富む広い視野を育み、情報発信力を高めてくれるはずだ。
安全保障の重要性と困難さが増していく国際政治の中で生き残るためには、今まで注目してこなかった部分からも学ぶべきなのではないだろうか。
(本文中の意見は著者個人のものであり、必ずしもセントルイス大学の政策を反映するものではありません)