日本で病院を経営するのは難しい。何しろ、日本全国にある病院のうち、約8割が赤字経営を余儀なくされているというのだ(「平成26年病院運営実態分析調査の概要」)。しかも赤字病院の割合は2013年から2014年の1年間で7.7ポイントも増加した。この国で病院を経営するのは極めて困難になりつつあると言っていい。
高齢化で増え続ける医療費を抑制しなければならないとはいえ、医療制度を根本的に見直さなければ、医療崩壊につながりかねない。日本の医療行政は間違いなく大きな曲がり角に差しかかっている。
しかし、実は個別のケースを見ていくと、健全な経営を続け、高齢化が進む中でも着実に事業とサービスを拡大している病院もある。その1つの例が福島県にある、ひらた中央病院(医療法人誠励会、福島県ひらた村)である。
全国でも最も過疎化が深刻な地域の1つであり、かつ、東日本大震災、原発事故という未曽有の被害を受けた。まさに最悪の環境と言えるなかで、ひらた中央病院は疲弊することなく地域の要請に応え続けている。
過疎地の病院がホールボディーカウンター
例えば、ホールボディーカウンターと呼ばれる体内にある放射性物質を測定できる1台5000万円もする機械を真っ先に導入、地域住民だけでなく近隣県の住民にも無料で検診サービスを始めた。
また、子供用のホールボディーカウンダ―である1台8400万円するベビースキャンも開発・導入して子供たちの無料検診サービスも行っている。
さらに今年11月、福島県川内村にひらた中央病院の支援によって特別養護老人ホームが誕生する。
阿武隈高地の最高峰である大滝根山などに囲まれたまさに山の中の過疎地が川内村である。その川内村は一部が福島第一原子力発電所から20キロ圏内にあり、約3000人の村民のうち2割が避難指示の対象となった。
放射線による被害拡大が見えない中で村は部分的な非難は難しいと考え、全村避難を決め、村役場の機能は郡山市役所内に移された。しかし、住民の帰村願望は強く、大震災の翌年に帰村宣言をして戻りたい村民から村へ戻り始めた。
ただ、一度避難生活を始めてしまうと、「戻ってもいいよ」と言われても簡単に戻れる人はそう多くない。高齢者の場合はなおさらである。若い人が都会の生活に慣れて戻らなければ、高齢者だけで生活を始めるのは難しいからだ。
戻りたいのに戻れない――。そんな状況がしばらく続いていた。