安倍首相の政策は1930年代に似てきた・・・といっても、安保法案が「戦争法案」だという類の話ではない。莫大な国債を発行して日銀にファイナンスさせ、それを財源として政府支出を増やす「アベノミクス」は、1930年代に高橋是清蔵相の行った財政政策によく似ている。
これは同時期のナチスの経済政策とともに、30年代の大恐慌に対して国家社会主義が有効だった事例とされている。高橋を「日本のケインズ」と賞賛する向きもあるが、その後の日本とドイツがどういう運命をたどったかはご存じの通りだ。それが失敗した原因も、アベノミクスと似ている。
高橋財政が放漫財政の呼び水になった
高橋が1932年に蔵相に就任して最初にやったのは、大恐慌の最中の1930年に金輸出を解禁して金の大量流出を招いた浜口内閣の政策を止めることだった。高橋はデフレに陥った日本経済を建て直すために金輸出を再び禁止し、農村救済のための景気対策を行なった。
これによって歳出は前年比32%増になったが、その財源は国債でまかなわれ、それを高橋は日銀に引き受けさせた。こうした政策でデフレは止まり、1932~36年に卸売物価指数は6%上昇し、鉱工業生産は10%伸びた。
しかし高橋は、政府が財政赤字で有効需要を創出すべきだとは考えていなかった。彼は均衡財政主義であり、高橋財政は基本的には健全財政だった。総予算は増えたが、軍事費を除く予算は33年以降は減少した。財政が膨張した最大の原因は、軍事費だったのだ。
日銀が国債を引き受けたのも意図的にインフレを起こすためではなく、世界恐慌の最中で銀行に国債を買う体力がなかったからで、日銀は引き受けた国債を徐々に市中に売却しており、結果的には市中で消化した。
市中消化が滞り始めると、高橋は国債を減らそうとしたが、これが軍部の反発を招き、1936年に二・二六事件で暗殺された。この結果、国債発行は歯止めを失って軍事費は際限なく膨張した。価格統制が行われたため、戦時中は物価はそれほど上がらなかったが、敗戦とともにハイパーインフレになり、国債は紙切れになった。
高橋財政の教訓は、放漫財政は元に戻せないということだ。高橋自身は最終的には国債を償還して均衡財政に戻そうと考えていたが、日銀引き受けという「打ち出の小槌」をもった政治家や軍部は、それを離さないのだ。