経済産業省で夏の人事異動が行われたのは、7月末のことだった。
今回の人事は特許庁長官を除き、局長級以上の幹部がほぼ全て交代する大掛かりなものとなった。経済産業省のNO.1で主として内政を総括する経済産業事務次官は立岡恒良氏(1980年入省)から菅原郁郎氏(1981年入省)へ、NO.2で主として通商を総括する経済産業審議官は石黒憲彦氏(1980年入省)から上田隆之氏(1980年入省)へと交代している。
この人事異動の中で筆者が感慨を覚えるのが石黒憲彦氏の退任である。
本来、黒子であるはずの一官僚の人事について語るのは適切ではないかもしれないが、石黒憲彦氏は一官僚という枠を超えた、経済産業省のシンボルであった。そのため異例ではあるが、今回は石黒氏のキャリア通して経済産業省という省庁の変遷について考えてみることしたい。
通産省から経産省への改編期
石黒氏は東大法学部卒業後1980年に通商産業省(当時)に入省、若くから将来を嘱望され1985年にはスタンフォード大学へ留学、1988年に帰国し、宮城県商工労働部への出向などを経て若手の登竜門とされる大臣官房総務課法令審査(1992年)、日本貿易振興機構(JETRO)ニューヨーク調査員ポスト(1996年)などを歴任し経験を積んだ。
この過程でバブル崩壊や日米貿易摩擦を経て、通産省はその性格を大きく変えている。産業政策の軸が業界調整・護送船団方式からアメリカを中心とするグローバルスタンダードへの対応や産業再編に移り、1998年には橋本龍太郎内閣下で省庁再編の議論が本格化し始めると、通産省はその役割を再定義することが求められた。
その頃、JETROニューヨーク調査員だった石黒氏は、1999年に帰国し、管理職ポストを務めるようになると、国際感覚豊かな識見を背景に持ち前の辣腕をふるうようになった。
2000年には通商産業省が経済産業省へと改編し、そのミッションが個別業界の発展・調整から日本経済構造の問題解決へと変わると、石黒氏は中堅官僚としてその先頭を突っ走った。