エジプト人俳優オマー・シャリフが、7月10日、カイロで亡くなった。83歳だった。
その代表作『アラビアのロレンス』(1962)は、第1次世界大戦の英国の3枚舌外交の餌食となったアラブ世界を描いたもの。そこで、ピーター・オトゥール演じる「アラビアのロレンス」とともに「アラブの反乱」を戦う若き族長を演じたのがシャリフだった。
公開当時、メディアはシャリフを「新たなヴァレンティノ」と呼んだ。現実のアラブ世界が騙されたことを悟り失意にある頃、米国でブレイクしていた映画『シーク』(1921)で、「シーク」を演じたルドルフ・ヴァレンティノの再来というものだった。
しかし、エキゾチックな容姿が魅力のセックスシンボルはイタリア系。一方、アラビアの勇敢な首長を演じたシャリフは、エジプト、アレクサンドリアの裕福な商人一家に生まれ、カイロで育ったエジプト人。
しかし、英国で学び、「西洋的」生活を送った人物でもあった。
エキゾチックな容貌に出演依頼殺到
シャリフは、帰国後すぐさま、既にアラブ世界のトップ女優だったファーティン・ハママと共演、のちに巨匠と呼ばれるユーセフ・シャヒーン監督作はカンヌ国際映画祭に出品された。
エジプト映画黄金期でもある1950年代、20本以上の作品に出演。共演作も多いハママと55年結婚し、58年に出演したフランス・チュニジア合作「Goha」はカンヌ国際映画祭審査員賞受賞、と順風満帆。そして、『アラビアのロレンス』で国際舞台に躍り出たのである。
ほとんどの欧米人、ほとんどの日本人にとって、中東がブラックボックス状態だったこの頃、そのエキゾチックな風貌で、シャリフのもとには、出演オファーが殺到した。
『ローマ帝国の滅亡』(1964)では2世紀末のアルメニア王、『日曜日には鼠を殺せ』(1964)ではスペインのカトリック神父、『黄色いロールスロイス』(1964)ではユーゴスラビアのパルチザン、『ジンギス・カン』(1965)ではジンギス・カン。そして、『ドクトル・ジバゴ』(1965)では、ロシア人医師ユリ・ジバゴ。
第1次世界大戦、革命へと進む激動のロシアを背景とした波乱の人生を演じたこの大作で人気を確固たるものとしたシャリフを、1967年、『ベン・ハー』などの巨匠ウィリアム・ワイラー監督は、ミュージカル映画『ファニー・ガール』(1968)に迎えた。