『タイタニック』『アバター』などの映画音楽で知られる作曲家ジェームズ・ホーナー氏が飛行機事故のため亡くなった。
「タイタニック」は、歴代最も売れた映画音楽スコアアルバム。ケルトの香り漂うその曲を聞けば、映画のワンシーンを思い出す方も少なくないだろう。
かつて日本には、そんな曲が数多くあった。1950年代後半から60年代、映画音楽は日本のヒットパレードの常連で、多くの人がそのメロディを口ずさんでいたのである。
そんなヒット曲を追いかけながら、今ではあまり注目されることもなくなった映画音楽の作曲家たちに、光をあててみたいと思う。
1955年、映画『暴力教室』のタイトルバックにも使われた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がヒット、米国で、ロック時代が幕を開けた。
ユア・ヒット・パレード放送開始
同じ頃、日本では、文化放送の「ユア・ヒット・パレード」が放送開始。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が初の1位となったが、『旅情』、『裸足の伯爵夫人』『現金に手を出すな』のテーマ曲など、映画音楽も数多くベストテン入りしていた。
1950年代に入り、テレビが普及、米国の映画人口は減少し、ラジオも対応策を迫られていた。制作費を抑えられるDJ番組、リクエストを集計したヒットパレード番組が増加。しかし、日本では、英米で大ヒットした曲でも発売は限定的、洋楽の「音源」は不足し、独自の素材として映画音楽は有用だった。
こうして、映画会社、ラジオ、レコードが一体となり、生み出されていった映画音楽のヒット曲には、主題歌のみならず、地味な旋律の器楽曲も少なくなく、日本人の中に、そのメロディが刻み込まれていった。
やがて『エデンの東』が公開、愛車ポルシェの運転中、24歳で事故死したジェームズ・ディーンが主演する映画の地味なテーマ曲は、以後3年間、多少の上下はあるものの、チャートのトップにあり続けた。