マルクス・レーニン主義の歴史観で談話を発表
この点について、村山氏は談話発表の1995年8月の記者会見で、「国策を誤っての戦争」がどの時期の出来事を指すのかを質問され、「どの時期か、とかいうようなことを断定的に申し上げることは適当ではない」と答えていた。談話は歴史的な文献ではなく政治的な文書だから、その対象時期を特に限定する必要はない、という、分かったようで分からない説明だった。
だが村山談話をどう読んでも、日清戦争も日露戦争も侵略として非難し謝罪していることは明白である。
明治時代初期からの日本の対外行動を侵略と見るか、あるいは、アジアで植民地支配を長年続けてきた欧米列強の脅威に対抗する自衛の行動だったと見なすのか。控えめに述べても、日本の国民的な合意は存在しない。
明治時代の日本の対外行動を帝国主義的な侵略や膨張だったと断じるのは、マルクス・レーニン主義の影響下にある中国共産党や日本共産党の年来の歴史観である。村山氏が所属していた旧日本社会党も同様の史観だった。
村山談話のこうした基本的な問題点を、安倍首相の戦後70年談話をめぐる論議を機に、今こそ改めて考えてみる必要があるだろう。