強いドイツの祖、鉄血宰相ビスマルク
200年前の今日、4月1日、ドイツ帝国の生みの親、オットー・フォン・ビスマルクが生まれた。プロイセン国の鉄血宰相として有名だ。
ヨーロッパの列強は、ナポレオン戦争で混乱(?)した秩序を再編成しようとして、1814年からウィーン会議を開いていた。しかし、これは、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された通り、200以上の国や領邦の代表が集ったものの、園遊会や舞踏会を催しながら、肝心なことは決められずにだらだらと続いていた。
突然スイッチが入ったのは、1815年、ナポレオンがエルバ島を脱出したという報が入ってからだ。列強たちは皆、ナポレオンの復活を危惧して、あっという間に「ウィーン議定書」を決議し、6月にはあたふたとそれぞれの領地に戻っていった。
ヨーロッパが近代として生まれ変わる最後の陣痛のようなものだった。そんな騒動の最中に、ビスマルクは生まれたのである。