人間にとって「一番大切なもの」って何だか分かるかい?
それは時間さ。
例えば、取引先に電話をかけて「担当に代わりますのでしばらくお待ち下さい」って1分以上も受話器を持ったまま待たされたり、また、駅の自動改札で前の人がつかえて、わずか数秒の間改札がふさがるだけでも、たいがいの人はイラっとするものだ。
たった1分、たったの数秒で人は不機嫌になったり理性を失ったりするんだよ。そう考えるとどれだけ先端科学を手にしても、人類はまだ未熟というか、智慧の完成に至っていないな。
新幹線は目的地への到着時間が2時間以上遅れた時には、特急料金が払い戻しになる。早く到着したいから、乗車券とは別料金の特急券をわざわざ買うんだからね。
おれは江戸っ子だがら、自分が待つのも、人を待たすのも嫌いなんだよ。
「時は金なり」とか「時泥棒は弁済不能の十両の罪」って昔から言うくらい、時間は大事なものだ。お金は借りても返済すればチャラになるが、時間はどうやったって返すことができないからね。
だから昔の人は、突然、断りもなく押しかけて、相手の時間を奪う奴を「時泥棒」といって煙たがった。江戸時代の10両は、現在の60万~100万円。10両を盗んだら死刑になってたくらいだから、重罪もいいところさ。
ウチの商売は、他では真似のできない金型をつくることだ。いろんな大会社や研究機関などから「ウチでは技術的にできないから、岡野さんのところでつくってみてくれないか」って、依頼がやってくる。今、おれがこさえているのは 未来に実用化されるような案件ばかりなんだ。
開発して特許を取るまでは時間との闘いだ。どんなに汗水垂らして、創意工夫の末に完成したとしても、1秒でも先に誰かに特許を取られたら、権利はそのライバルに全部もっていかれてしまう。だからウチにとっては時間の価値っていうのは10両どころの騒ぎではない。
車の性能は40年前とは違うんだ
市場の変化や商品開発のスピードはどんどん速くなっているんだから、仕事のやり方だってそれに合わせなくちゃならない。
世の中の様々な仕組み、例えば法律だって、本当はどんどん変化すべきなんだ。それなのに、ちっとも変わらないものがいっぱいある。
車のスピード違反を例に挙げてみよう。現行の道路交通法は1970年に大きく改正されて元ができた。けれども、東名高速道路の完成した70年当時に比べると、現在はクルマのサイズも排気量も格段に大型化し、性能が進化しているのは言うまでもない。安全性、走行性など全ての面において現代の車は進化している。
それなのに約40年前の制限速度が今もそのままというのは、適正と言えるんだろうか?