「花の88年組」という言葉があるそうだ。全く知らなかったけれど、1988年生まれの人たちを一部でこう呼んでいるとか。今回ご紹介する福井麻里子さんはこの88年組。本人曰く「元気で何事にも挑戦する気概があふれた世代」だという。

 調べてみると女優では黒木メイサさんや卓球の福原愛選手、プロ野球ならニューヨークヤンキースの田中将大選手、ピアニストには辻井伸行さんなどがいる。そう言われればチャレンジ精神に富んでいる気がする。

 私のような古い人間にすれば末広がりの八が2つ重なって縁起がいいのかな、などとも思ってしまうが、実際のところは単なる思い込みに過ぎないのだろう。ただ、自分たちは元気なんだと思う気持ちは間違いなくプラスの効果を呼び込む。

 福井さんは、PRの世界における挑戦者だ。そして、創業からわずか1年も経たないうちにこの古い業界に風穴を開け始めている。日本企業を海外メディアに紹介するというアウトバウンドのPR会社として急成長中なのだ。

 これまでにも海外PRはあったものの、ほとんどが外国企業を日本のメディアに紹介するというインバウンド中心だった。日本企業の国際化が進んで久しいのに、ことPRの世界はドメスティックにとどまっていたのが実情だ。

 それには様々な理由があるだろうが、ここで理由を詳しく書いても意味がないので、さっさと福井さんをご紹介したい。帰国子女ではなく大学時代までは英語もそれほど上手くなかった彼女が、なぜ海外のメディアに日本企業を英語で紹介するビジネスを始め急成長できたのか――。

「ビル倒し」でシンガポールの人脈を開拓

福井 麻里子(ふくい・まりこ)氏
アールトインターナショナルジャパン(Aalto International Japan)代表取締役。Aaltoとはフィンランド語で「波」の意味(写真提供:Aalto International)

川嶋 福井さんは20代の若さで起業し、シンガポールと京都にオフィスを持っていらっしゃいます。まずは、会社を立ち上げた経緯を教えてください。

福井 私は2010年に大学を卒業して、大阪でPR会社に就職しました。広報の手法や企業の仕組みを学びたいと考えたからです。というのは、私は兵庫県西宮市の出身で、6歳の時に阪神淡路大震災で家が全壊した経験から、防災の広報をやりたいと思っていたのが理由です。

 世の中にはいいモノ、いい人、いいサービスがあるのに、それがうまく伝わらないのは悲しいことだと感じていて、そういう企業や組織を世の中に伝えていくお手伝いをするのは、おもしろくてやりがいがあると思うようになり、広報の道を選びました。

川嶋 シンガポールに行った理由は何だったんですか。

福井 社会人になってからシンガポールに1週間ほど旅行に行ったんです。ソーシャルメディア関連のフォーラム(Social Media World Forum)に参加するためですが、せっかく行くのなら、いろいろ現地で話を聞きたいなと思い、LinkedInでつながっている人にお願いしたり、友人の紹介なども含め20人くらいと会いました。

 PRなどのコミュニケーションやソーシャルメディア関連企業の日本人、シンガポール人、シンガポール在住の各国の人たちに話を聞くうちに、多様なバックグラウンドを持つ人たちと一緒に働くことにがぜん興味が湧き、3年後にはシンガポールに働きに行こうと決意したんです。

 それで、2年間大阪でPRの仕事を経験してから東京の会社へ転職した後、人材紹介の会社がシンガポール現地法人の立ち上げメンバーを募集しているということで応募しました。