私が見たなかで、もっとも古いのは1975(昭和50)年4月号の『暮しの手帖』で見つけた<すり鉢を見直す>という記事。となるとすり鉢は、いまから40年ほど前からずっと見直され続けていることになる。

 便利な電動のミルやミキサーがたくさんあるにもかかわらず、なぜこれほどまですり鉢は消えそうでいてしっかり残っているのだろうか。そこには、なにかしら理由がありそうだ。

昔のすり鉢には櫛目がなかった

 すり鉢の歴史はかなり古い。大阪府の陶邑(すえむら)や愛知県の猿投(さなげ)など6世紀の遺跡から、すり鉢の原型とされる形状の須恵器(すえき)が出土している。この頃のすり鉢は、現在のものよりも口が狭く、高さがあり、底の高台にあたる部分が広がっている。

 それ以前はどうやって木の実などをすり潰していたかというと、窪みのある石皿と磨石(すりいし)がセットで使われていた。石などの硬い材質を使った「する」道具というと、メノウのほかに磁器やガラスなどが使われる乳鉢と乳棒の組み合わせを思い出す。だが、日本では乳鉢と乳棒はもっぱら薬などを調合するのに用いられ、食材をすり潰すための陶器のすり鉢やすりこ木と、明確に使い分けられてきた。

 話をすり鉢に戻すと、その出土例が増えるのは平安時代の半ばからだ。平安時代末期から鎌倉時代にかけて書かれた中山忠親(なかやまただちか)の日記『山塊記(さんかいき)』では、1179(治承3)年の記述に「摩粉木(まこぎ)」という、すりこ木を示す言葉が登場している。