中国の人たちが日本に観光に来て持ちきれんばかりのお土産を抱えて帰る姿を見て、日本にもそんな時代があったよなぁと、腹の底から何とも言えぬ懐かしさが湧き上がってくるのは私だけだろうか。
本物のヒット商品とは売れない時代に現れる
懐かしさもさることながら、「あの頃は古き良き時代だった」と思わず口にしてしまうのは年齢のせいなのか長すぎるデフレのせいなのか。
少なくとも小さい時から身の回りにモノがあふれていた今の若い人たちは、恐らくそんな気持ちにはならないに違いない。
「ヒット商品を生み出すのが大変な時代になったものだ」と、妙な連想で日本でブランド品や家電製品を買い漁る中国人観光客を見て、企業のマーケティング担当者に同情してしまう。
しかし、よく考えてみれば、長い歴史の中で高度成長期の方が異常なのであって、ある程度社会が飽和した中でこそ、アイデアとその国の歴史や文化がいっぱい詰まった本物のヒット商品が生まれるのかもしれない。バブル経済では消費もバブルだったのだから。
個人的な話で恐縮だが、今から8年前、米国駐在から戻って最も驚いたのが、居酒屋に生レモンサワーなるものがあり、それが大人気を呼んでいたことだった。自分も虜になり、それ以来しばらくの間は毎晩のように同僚を誘っては飲みに行ったものだ。
ところが月日が流れ、いま居酒屋に行くと、あちらのテーブルでもこちらのテーブルからも、「ハイボール」の声。生レモンも焼酎も完全に脇へ追いやられたような印象だ。
ハイボールを大ヒットさせた男には、あるこだわりが
そのハイボールブームを演出したのが、サントリーの酒類宣伝部長である和田龍夫さんである。酒類宣伝部長を委嘱されて、長期低迷状態に入っていたウイスキーの拡販を期待された。
しかし、焼酎やワインのブームに第3のビール、酎ハイ戦争、若者のアルコール離れなど、日本の環境はアルコール度数の高いウイスキーを飲むなと言っているに等しい。簡単に失地挽回ができるはずがなかった。
ところが結果はどうか。今やハイボールにするために仕かけた「サントリー角瓶」は売れすぎて工場からの出荷を制限することになるほど。ハイボール自体は昔からあったわけで、今なぜハイボールがヒットするのか。
その秘密は、仕かけ人の和田さんその人自身にある。まず外見。1度会ったらまず忘れない。サントリーに入社した時から今まで、決して迎合することなく強烈な自己アピールのある服装を貫き通しているのだ(次ページをご覧ください)。
ジャケットとパンツだけではない。靴、時計、眼鏡、身につけるものすべてにこだわりがある。普通の大企業でしかも重要な役職にある人にはまずできないことだ。
服装は和田さんを知る一例に過ぎないが、社会と自分との接点とも言える服装に強い自己アピールをすることで、逆に世間の反応を知ることができる。つまりアンテナである。
サントリーという会社で働くことを通して、和田さんの中には、時代の要請を読み解く確かな感性が自然と醸造されていた。それがハイボールのヒットを生み出したと言っていいだろう。もちろん、そこにはサントリーという会社の社風が強く影響していることは間違いない。
(取材協力: 株式会社コトバ)