マット安川 ゲストに夫婦・家族問題や女性の社会進出事情の専門家・池内ひろみさんを迎え、安倍政権の女性政策から議会のセクハラやじ問題の本質など、幅広くお伺いしました。
「セクハラやじ」に涙した女性議員を擁護できない理由
夫婦・家族問題評論家。東京家族ラボ主宰。結婚と離婚、恋愛、親子関係などのコンサルティングを行なう。新聞社系文化センター講師を務めるほか、マスコミ出演も多い。『男の復権』『妻の浮気』『結婚の学校』『良妻賢母』など、著書多数。(撮影:前田せいめい、以下同)
池内 東京都議会のセクハラやじ問題について一般に言われていることに、私はちょっと同調できません。
自ら立候補して選挙で選ばれ、税金で仕事をなさっている公人が、ああいうことを言われたからと涙を流すのはどうかと思うのが正直のところです。私はセクハラやパワハラの相談をお受けしていますが、本当にひどいそれらはあの程度のものではありません。
そもそも議会にはやじが付きものです。古くはギリシャ、ローマ時代からあったといいますし、今の日本では政治家の先輩方が上手なやじを指導するくらいです。
その本質は、何らかの主張に対して短時間で根拠を質したり、勉強不足を指摘したりという「突っ込み」にあるのであって、人格否定だとか人格攻撃とは違います。議員に求められるのは、それを負けずに受け止めて議論を深めることです。
同じ女性として擁護できないと思うのは、ネットメディアでの彼女の発言です。
今回の一件の発端は、彼女がブログに書いたことですよね。「産めないのか」とやじられたと書いたわけですが、その後問題が大きくなってから、今度はツイッターでこうも書いてるんです。子どもが産めないのかと言われたような気がするけど、どうだったか分からない、と。
これはとってもあざといやり方です。本当に言われたのなら人格否定に等しいとんでもない発言ですから、録音したものをちゃんと検証してだれが言ったのかまで突き詰めるべきだと思います。
そういう声が大きくなってきたところで、彼女はブログより短いツイッターの文章で、実は言われなかったかもしれないとエクスキューズした。結局、言われてなかったんじゃないかと思います。
こういうことが起きると、「女性はいつも被害者なんだ」と声高におっしゃるのが好きな方々が食いついてきます。逆に女の誇りを傷つけるこういうロジックが、私は大嫌いです。私たちは被害者じゃありません。女として生まれたこと、女であることが幸せなんです。