2014年3月18日、ロシア大統領プーチンは、クリミア共和国とセバストポリ市をロシア連邦に正式に編入することを決めた(2014年5月31日現在領有を巡ってはウクライナとロシアの間で係争中)。
編入された地域は、クリミア自治共和国と、クリミア半島の南端に位置するセバストポリ市である。手続きとして、まず、3月11日独立を宣言し、その後、住民投票を通じてウクライナ自治権の拡大か、あるいはロシア連邦への編入を望むかを問い、結果、90%以上の賛成をもって、17日に独立し、編入に至った。
ソ連時代の連邦制と民族自治
17日の独立時にクリミア自治共和国は、「クリミア共和国」を名乗り、その名前を維持したまま、ロシア連邦へと編入されたことになっている。
これまで筆者は何度か、ロシア連邦を構成する諸共和国についてほとんど説明のないままに触れてきたのだが、そのたびに、国家の中に国家があるという特殊な状態を誤解されるのではないかと考えてきた。
ウクライナの大統領選挙も、ペトロ・ポロシェンコ氏の勝利に終わり、ウクライナ情勢はようやく落ち着いたかに見える。とはいえ、ウクライナ東部でも、クリミアを倣い、独立を宣言した「ドネツク人民共和国」が存在し、ウクライナ自体が連邦制を取るかどうか、取るとすればどのようなものにするかといった問題が存在する。
今回は、ロシアがイメージする連邦制とは、ということを考えるうえでの一応の参考という意味を含めて、ロシア連邦が大部分を継承し、ウクライナもその一部であったソビエト連邦の取った連邦制と民族自治の問題に関してご紹介したい。
1917年、ロシア革命が起こると地方においても、革命側、反革命側に分かれての争いが広がり、内戦状態となった。
このような中、人々を抑圧から解放するという政治的な目標を掲げた革命政権は、ロシア帝国に住む様々な民族の解放もテーゼに掲げて、支持を取り付けていった。
内戦の舞台になったモンゴル系の民族カルムイク人の居住地域では1919年、レーニンからの「味方になれば自治を認める」という呼びかけにより、多くが赤軍側に立ち、1920年11月にカルムイクの民族名のついた自治領域を与えられた。カルムイク自治州である(1935年にカルムイク自治共和国へ格上げ)。
1922年、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカス連邦(アゼルバイジャン・アルメニア・グルジアによって構成)といった共和国により構成される、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。