中国の習近平国家主席は高まる内政の混乱をナショナリズムに転換してガス抜きするために、歴史認識や領土・資源問題などで日本非難を強めている。そうした1つが3月28日のベルリン訪問で、朴槿惠韓国大統領の告げ口外交を真似て行った日本批判の演説である。
習主席は「日中戦争では3500万人の中国人死傷者が出た」と述べ、また「南京では30万人以上の兵士や民間人を虐殺する凶悪な罪を犯した」と批判した。中国一流の宣伝で、日本が「根拠は全くない」と反論したのは当然である。
歴史認識で日本が今日窮地に立たされているのは、「反論は友好に悪い」として「まあまあ」と曖昧な姿勢を取り、世界の良識は「いずれ分かってくれるはず」と鷹揚に構えてきたからである。
日中戦争を欲した中国
日華事変(日中戦争とも称している)の当時、ドイツは日本と防共協定(同盟関係はその後)を結び協力関係にあったが、裏では蒋介石軍に顧問団を派遣して訓練を指導し、最新兵器を装備させるなどして、日本を疲弊させるような行動を取っていた。
また、南京事件が起きた時、城内の中心部に安全地帯を設けて市民を保護するようにしたのは米国の宣教師たちを主とする国際委員会であったが、委員長はドイツ人のジョン・ラーベであった。
こうしたことから、習主席は日本糾弾にふさわしい場所がドイツであると考えたのも自然であったし、ラーベを称えて「中独友好を示す感動的な話」と評したそうである。
本来はホロコースト記念碑がある場所での演説をしたかったようだが、当のラーベはナチス党員であり、ユダヤ人虐殺の古傷を抉り出されてはたまらないと見たドイツは許可しなかった。
習主席の頭は日本非難することに一杯で、「虐殺」がユダヤ人ホロコーストをドイツ人に思い出させるという意識には考え及ばなかったようである。こうしたところにも、中国の自己中心的な姿勢が現れている。
日華事変当時の中国には軍閥が割拠し勢力争いばかりで、国家の体さえなしていなかった。そうした中で、日本は共産主義の広がりを恐れて、毛沢東に対峙する蒋介石の国民党を支援していた。
しかし、日本が支援しているはずの国民党が分裂したり、また国共合作で共産党と一緒になって反日侮日行動に移るなど、情勢はめまぐるしく展開した。