ニッケイ新聞 2014年3月19日~21日

Fモライス著作への反発、日系人の“パンドラの箱”

 軍政時代に学生運動家として逮捕され、拷問を受けた経験を持つジウマ大統領の肝いりで2012年5月に立ち上げられた「真相究明委員会」で、戦争中の日本移民迫害が取り上げられ、昨年10月に同委員会が謝罪するに至った。この件は日本の共同通信や産経新聞はじめ、英ガーディアン紙でも扱われ、米国邦字紙の北米報知でも本紙記事が転載されるなど一部で注目を浴びていた。『ブラジル特報』3月号に寄稿した原稿に一部手を入れ、ここに転載する。(深沢正雪記者)

真相究明委員のサンパウロ州小委員会「日本移民の死と拷問」公聴会の様子。左から3人目がジョーゴ州議、カルドーゾ弁護士、奥原、日高。(写真=CVESP)

 「日本移民の死と拷問」問題を真相究明委員会に働きかけてきたのは、映像メディア会社『Imagens do Japao』(IMJ)の共同経営者、奥原マリオ純(39、三世)だ。

 彼が2012年暮れに公開した勝ち負け抗争を描いたドキュメンタリー映画『闇の一日』を製作する過程で、日の丸を踏まなかっただけで政治警察の拷問を受け、“監獄島”アンシェッタ送りにされた日本移民が多数いることを知り、この運動を思い立った。

 そもそも奥原が勝ち負け抗争に興味を持ち始めたキッカケは、2000年にフェルナンド・モライスが発表した著書『コラソンエス・スージョス』(ポ語、コンパニア・ダス・レトラス出版)だ。そこから13年がかりで撮影したのが『闇の一日』だった。

 モライスの著作以前、多くの二、三世にとって同抗争はまったく未知の出来事だった。モライス著作は史実に基づいているが、多分に読み物的に脚色しており、「臣道聯盟=テロリスト」という当時のポ語紙の誤解を膨らませた論調が強い。同著作をさらに“チャンバラ活劇”風に仕立てたのが、12年に日伯で公開された同名映画(邦題『汚れた心』)といえる。

 このような誇張した解釈や方向性に対して、日系人側からの反発心が生まれていた。その一人はエスタード・デ・サンパウロ紙論説委員をする二世、保久原ジョルジだ。父が臣道聯盟の会員だったことから、モライスが同組織をテロ集団のように描いたことに反発を覚え、自分が父親から聞いた話を軸に日系人側の視点による家族史として『O Sudito (Banzai,Massateru)(臣民 万歳、正輝)』(ポ語、2006年、テルセイロ・ノーメ出版社)を著した。

 多くの戦前一世にとって終戦直後のドタバタは心理的なトラウマになっており、今も禁句という雰囲気が強い。まして積極的に子孫に伝えるべき内容とはいえない事柄だった。

 同抗争を語ることがタブーになった余波で、ヴァルガス独裁政権中、特に戦中の日本移民への差別や迫害という部分までもが移民史からぼかされてきた。

 戦中の日本人迫害に関しては移民70年史、80年史、100年史にも詳しくは扱われていない。ヴァルガスから発刊停止処分を受けた歴史を持つ邦字紙も、反政府的な活動を自粛する方向性を強く持ち、意識的にそれに加担して来た部分がある。

 奥原は「勝ち負け抗争は調査のキッカケに過ぎない。今、僕の関心の中心はヴァルガス独裁政権時代の人権問題、日本移民迫害だ。それがあったから勝ち負けは起きた。戦争中に日本移民に起きたことを、ブラジルの歴史としてはっきりさせ、二度とあのようなことが起きないように注意喚起するのが目的。そのためにはヴァルガス時代のことをもっと表に出さないといけない。だから真相究明委員会に持ちこんだ」と説明する。

 良くも悪くも、モライス著作は日系人のルーツに関する“パンドラの箱”を開けた。