今、カスピ海が面白い。
カスピ海周辺地域における石油・天然ガス事情が今、大きく変貌を遂げようとしています。なお、ここで言うカスピ海周辺地域とはカスピ海沿岸5カ国(ロシア南部・カザフスタン・トルクメニスタン・イラン・アゼルバイジャン)を指しますが、天然資源トランジット国としてのトルコも含めて、現状を分析したいと思います。
カスピ海と聞いてもご存じない方も多いかもしれませんが、カスピ海の面積は約37万平方キロで、日本とほぼ同じ面積です。カスピ海には大小約130本の川が流入していますが、流れ出す川はありません。
カスピ海はその昔、黒海とつながっていました。黒海は地中海とつながっていますので、カスピ海は元々“海”であり、水は海水です(塩分濃度は海水の3分の1程度ですが)。一方、海への直接の出口はありませんので、この意味ではカスピ海は“湖”となります。
余談ですが、現在のカスピ海はヴォルガ川とドン川を結ぶ運河を通じて黒海と接続されており、ヴォルガ・ドン川を接続する要衝の地がヴォルゴグラード(ヴォルガの町)です。カスピ海を航行する船はヴォルガ川から運河経由ドン川を下り黒海に入り、ドナウ川を遡航してウイーンまで行くことも可能です。
昨年末にヴォルゴグラードがテロ攻撃されましたが、なぜこの町かと言えば、それには意味があります。この町の旧名はスターリングラード(スターリンの町)です。スターリングラードは第2次世界大戦(ソ連邦・ロシア連邦の呼び名は大祖国戦争)の独・ソ激戦地で、最終的に赤軍が勝利しました。
ドイツでは「ドイツの侵攻はスターリングラードで終わり、ドイツの撤退はクルスクから始まる」と言われています。赤軍勝利の象徴都市をテロ攻撃することにより、北カフカースのイスラム過激派はロシア連邦に対し、勝利宣言したことになると言えましょう。
閑話休題。当初、カスピ海周辺国とは旧ソ連邦とイランの2カ国のみでした。カスピ海にはチョウザメしか生息しておらず、魚は回遊していますので、両国は「カスピ海は湖」と認識して、平和共存の時代が続いていました。
しかし1991年末のソ連邦解体とともに、カスピ海沿岸国は上記5カ国になりました。旧ソ連邦が解体され沿岸国が5カ国になると、各国のカスピ海における天然資源開発構想が異なり、カスピ海の法的地位を巡り、係争が生じました。
カスピ海の法的地位問題/カスピ海は海か湖か?
では、「カスピ海の法的地位問題」とは何でしょうか? それは、「カスピ海は海か湖か?」という問題です。
「カスピ海は海か湖か?」
そんなのどちらでもいいではないかと思われるかもしれませんが、実は「海か湖か」で沿岸国の法的権利が全く異なるのです。湖であればそこにある資源は沿岸国の共有財産になり、海であれば領海の概念が発生して、大陸棚沿岸資源は沿岸国固有の資産になります。
この結果、自国の沖合に海底資源のある・ありそうな国は“海”、資源のなさそうな国は“湖”と主張するようになりました。
旧ソ連邦の時代、上述のごとく、カスピ海沿岸国はソ連邦とイランの2カ国でした。ソ連邦には海洋掘削技術はなく、カスピ海の探鉱・開発はほとんど進展せず、カスピ海北部には天然資源がありそうだとは予測されていたものの、何が、どれほどあるのかは不明でした。
海洋資源と言えば、チョウザメとキャビア程度です。ですから、両国は「カスピ海は湖」と認識して、沿岸資源を協議分配する平和共存の時代が続いていました。
その後ソ連邦が1991年末に解体され、カスピ海沿岸諸国は5カ国となった後、旧ソ連邦から新たに独立したアゼルバイジャン・トルクメニスタン・カザフスタンの3共和国は、自国に資金も技術もないので外資を導入。カスピ海沿岸で海洋探査作業を開始すると、自国沿岸沖合のカスピ海海底に油兆を発見。ゆえに「カスピ海は海」と主張して、領海宣言しました。