東日本大震災の被災地に広がる漁業の復興に役立つのか、それとも荒廃させるだけなのか、論争を引き起こしただけでなく、宮城県知事と県漁協の対立までに発展した水産特区(水産業復興特区)がいよいよ動き始めた。

 2013年4月、「桃浦かき生産者合同会社」からの要請を受けて宮城県が申請した水産特区を水産庁が認定した。桃浦かき生産者合同会社は、石巻市桃浦(もものうら)の漁民と仙台市の水産卸会社「仙台水産」がつくった会社である。

 その後、合同会社はカキ養殖用の漁船を操業させる一方、カキを周年出荷するための冷蔵・冷凍設備の建設に乗り出すなど準備を進めている。

合同会社で建造したカキ養殖用の漁船「新開丸」。こうした復興にかかる設備投資の負担は、民間企業と分け合う形になるので、漁民の負担は軽くなる=石巻桃浦で、筆者写す(以下同)

 2013年9月には、合同会社にカキ養殖の漁業権が県から与えられる予定で、今秋から「桃浦かき」のブランドを付けたカキの出荷が始まりそうだ。

桃浦かき生産者合同会社の大山勝幸代表社員=石巻市桃浦で

 桃浦漁港の近くに建てられたプレハブの事務所を訪ねると、代表社員の大山勝幸さんが特区を選んだいきさつを説明してくれた。66歳。全国からも注目される事業を進めるリーダーとしての責任があるからだろう、地域の未来を熱心に語る海の男の姿は若々しかった。

 「大震災で地域の漁民は家も船も養殖設備も失った。後継者が少なく、廃業を覚悟する人が多かったが、水産特区の話を聞いて、この制度を活用できないかと考えた。できるだけ借金をつくらずに養殖を復興させるには、外からの資金も必要だからだ。

 幸い、仙台水産という水産卸会社が協力してくれることになったので、桃浦ブランドでカキを販売する自信も出てきた。県漁協からは反対されているが、私たちからすれば、お国がつくった水産特区という制度が便利そうなので、それを選んだだけで、対立する気はまったくない」

「漁民が資本に隷属」しないよう歯止めをかけたが・・・

 水産特区のアイデアは、震災直後の2011年4月に政府が発足させた東日本大震災復興構想会議で、メンバーだった村井嘉浩宮城県知事が“民間資本の導入による水産業の復興手段”として提案したものだ。