わが国に、在韓国連軍後方司令部が置かれている事実を知っている国民は、それほど多くはないであろう。

 在韓国連軍は、1950年6月の朝鮮戦争勃発に伴い、国連の諸決議に従って、国連加盟国が自発的に派遣した部隊から構成されたものである。1953年7月に休戦協定が成立して以降、現在でも朝鮮半島の平和と安全の確保のために大きな役割を果たしている。

日本は、韓国防衛の生命線

 韓国には国連軍司令部(main)が置かれているが、国連軍に十分な兵站(logistics)上の支援を与えるための国連軍後方司令部(rear)は、1957年にキャンプ座間に設立、2007年11月に横田飛行場へ移転されたが、現在でも日本に置かれている。

 朝鮮戦争によって、わが国には「朝鮮特需」が舞い込んだ。すなわち、在韓米軍や在日米軍からわが国に発注された物資や兵器の整備・修理などのサービスの需要が急増し、その需要を満たすために各種産業の業績が好転して戦後経済の疲弊を克服するきっかけとなった。

 また、朝鮮戦争勃発とともに、占領米軍の命令によって、日本の特別掃海部隊は元山や釜山方面等の機雷の掃海に出動した。国連軍の作戦に寄与するとともに、朝鮮半島と日本との間の海上交通路を確保するためである。

 さらに、わが国は、朝鮮戦争間に、終戦処理用として米国から貸与されたLST(Landing Ship Tank:戦車揚陸艦)やチャーターされた日本の商船などをもって米軍の物資や兵員の輸送、韓国からの避難民の輸送や米軍人の後送等の特殊輸送などの海上輸送に従事した。

 日本人船員が運行するLSTは、仁川上陸作戦、元山上陸作戦、興南撤収作戦等の重要な作戦にも参加した。これらも、多くの日本人にはよく知られていない歴史であろうが・・・。

 このように、朝鮮戦争時、わが国は国連軍(米軍)の物資や兵員の海上輸送、物資の供給おび兵器の整備や修理、機雷掃海による海上交通路の確保などを行った。

 国連軍の後方連絡線(Line of Communication)は、釜山港などから対馬海峡を経て日本へとつながり、日本は在韓国連軍の一大兵站基地あるいは支援基地として朝鮮戦争を後方から支えた。朝鮮戦争は、それ程までに、わが国への兵站的依存度が大きかったのである。

 万一、朝鮮半島有事になれば、米軍中心の国連軍並びに韓国軍の生命線はわが国へつながり、日本は、後方兵站基地としての重要な役割を果たすことになろう。

 わが国は、1996年4月に発表された「日米安全保障共同宣言」ならびに1997年9月に作成された「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」を踏まえ、朝鮮半島有事などを想定した「周辺事態法」(1999年5月公布)、「日米物品役務相互提供協定を改正する協定」(1999年9月発効)、「在外邦人などの輸送手段として船舶とその搭載ヘリコプターを加える自衛隊法の一部を改正する法律」(1999年5月発効)および「船舶検査法」(2000年12月公布)を整備した。

 2013年1月のアルジェリア人質事件を受け、安倍晋三内閣は、現行の航空機・船舶に加え、陸上における車両での邦人輸送を可能とし、また輸送中の保護対象者を拡大して、現地で面会する家族や随行の政府関係者らも武器で防護できるよう自衛隊法改正案を閣議決定(2013年4月19日)した。