福島から宮城、岩手、青森へと至る太平洋岸に沿った道を、ひたすら北に向かって走り、地震と津波が刻んだ巨大な爪痕を確かめる旅。前回は福島県相馬から宮城県を通り、岩手県釜石までの路程で目にしたもの、考えたことを記した。引き続き今回は、「リアス式海岸」が連なる岩手県の北半分から青森県に至る地域の現況を、「道の今」という視点を軸にお伝えしたい。
何度も書いてきているように、今回の東日本大震災の被災地において、生活と産業の再建の鍵を握るのは「道」である。
国道45号も、そしてJRと第3セクターである三陸鉄道それぞれの沿岸路線も、近世の技術において土木工事がやりやすい場所に通してきた。言い換えれば、今回の被災状況でも分かるように「100年に1度」レベルの大きな津波が襲えば、様々な所で施設が壊れ、路線が寸断される可能性が高い。しかも代替路線がない。
そこで道に関しては、仙台から三陸沿岸の山側を抜けて岩手県の宮古、さらに青森県の久慈、八戸までを結ぶ、自動車専用道(高規格道路)が以前から計画され、徐々にではあるが建設が進められている。これらを総称して「三陸沿岸道路」と呼び、国土交通省としては震災の後に「復興道路」と位置づけて建設と供用を促進しようとしている。
総延長は360キロメートルだが、仙台港北から石巻の北側を抜けて内陸に入る区間の約71キロメートルを含めて、今のところ開通しているのは129キロメートルにとどまる。
しかも三陸沿岸の開通区間は長いところでも大船渡周辺の17.3キロメートルと、短い区間が散らばっている状態であり、国道45号のバイパスという位置付けで無料通行可能にしてはいるが、現状の45号のルートから外れて山塊の中まで登っていってちょっと走って下りて戻る、ということになってしまう区間が多い。
その利便性が発揮されるのはまだまだ先にならざるを得ないが、国としては「復興道路」としてこれまで「調査」に止めていた区間も「事業化」、つまり建設に入り、2020年頃までには全通させる、としている。同時に内陸幹線と東西方向に結ぶ「肋骨」も、花巻~釜石と盛岡~宮古の2ルートの建設が進められる。