表土剥き出しの更地の広がりを見て、「復興が進んでいない」と単純な受け止め方をしない方がいい。ここに人工物を再び作っていいのか。作るとすれば何に使うどんなもので、何十年か先まで、あるいは百年単位の「社会の記憶」を刻んで伝えてゆくのにはどうしたらいいか。そうした思いを巡らせるべき「虚無」がそこに広がっているのだ。