表土剥き出しの更地の広がりを見て、「復興が進んでいない」と単純な受け止め方をしない方がいい。ここに人工物を再び作っていいのか。作るとすれば何に使うどんなもので、何十年か先まで、あるいは百年単位の「社会の記憶」を刻んで伝えてゆくのにはどうしたらいいか。そうした思いを巡らせるべき「虚無」がそこに広がっているのだ。
被災地の道から見えてくる「復興」と「再建」のコンセプト
福島から青森まで、太平洋岸を走破する旅(後篇)
2013.3.12(火)
両角 岳彦
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