第1次安倍内閣のスローガンは「戦後レジームからの脱却」であった。歴代政権には見られない極めて根源的で、真摯な問いかけであると受け止めたところであった。

 昨年末の総選挙に勝利し、政権に返り咲いた自民党・安倍晋三総裁を首班とする第2次安倍内閣は「危機突破内閣」と銘打っている。

安倍新政権は、「尖閣諸島」の危機を突破できるか

 その公約には「戦後レジームからの脱却」の一丁目一番地である憲法改正が掲げられていることから、第1次安倍内閣の基本方向は引き継がれていくものと期待される。

 今日、中国によって仕掛けられた「尖閣諸島」を焦点とした我が国の防衛・沿岸(領域)警備の問題は、実は、GHQの日本非軍事化(非武装化)・弱体化の占領政策、すなわち戦後体制に端を発している。

 果たして、安倍新政権は、「戦後レジームからの脱却」を図り、「尖閣諸島」の危機を突破できるであろうか――。

我が国の沿岸(領域)警備体制の問題

GHQ(占領米軍)に厳しい制約を課せられた海上保安庁の生い立ち

 戦前、いわゆる沿岸警備(防備)については海軍が担任していた。敗戦占領とともに、占領米軍(GHQ)は、徹底した日本の非軍事化(非武装化)・弱体化を基本政策としたので、海軍も掃海部隊を除いてことごとく解体され、我が国は沿岸(領域)警備機能を喪失した。

 そのためか、周辺海域には海賊が出没し、昭和21(1946)年初夏頃から朝鮮半島より輸入感染症(コレラ)が上陸して猛威を振るった。背後に不法入国や密貿易が疑われるようになり、沿岸(領域)警備の必要性に対する認識が高まった。

 GHQは、米国沿岸警備隊(U.S.Coast Guard)をモデルに、洋上警備・救難及び交通の維持を任務とし、当時の運輸省(現国土交通省)の外局に文民組織としての海上保安庁を設立させることとした。

 しかし、GHQ民生局(ホイットニー准将)は、武装した海上保安機構の創設に反発したので、下記の6項目の制約を課して昭和23(1848)年5月1日に同庁を発足させた。

(1) 職員総数1万人を超えないこと
(2) 船艇25隻以下、総トン数5万トン未満
(3) 各船艇の排水量1500トン以下
(4) 速力15ノット未満
(5) 武装は海上保安官の小火器に限ること
(6) 活動範囲は日本沿岸の公海上に限ること

 また、GHQは、海上保安庁を文民組織とすることに固執したため、海上保安庁法第25条において、同庁は軍隊ではないとの規定を盛り込み、現在に至っている。