前回、前々回に引き続き、原子力防災の元実務技術者である永嶋國雄さん(71)へのインタビューをお届けする。永嶋さんの名前を教えてくれたのは、『原子力防災』の著者、松野元さんである。永嶋さんは、松野さん同様、原発事故に備えた防災システムの設計に関わり、危険を警告していた人物で、『原子力防災』の共著者にもなるはずだったという。

 今までのインタビューで、政府は巨額の予算を投じて原発事故に備えた防災システムを築いていたが福島原発事故では生かされなかったこと、事故発生時に現場と官邸内で判断ミスが積み重なったことなどが明らかになった。

 最終回となる今回は、原子力関連組織や電力会社の杜撰な危機管理体制について聞く。住民避難を失敗に至らしめた組織の実態を語ってもらった。

「電源が永久に途絶える」ことも想定されていた

──永嶋さんと松野さんは、全国の54基の原子炉に関してシビアアクシデントのシミュレーションを何度もくり返していらっしゃったということですが、お2人がまだ原子力発電技術機構(NUPEC)におられた頃とすると、2000年代前半ぐらいですか?

 「そうですね。2人ともいなくなったのが2002年か3年。その年からその仕事が原子力安全基盤機構(JNES)に移ったんです。移った時に私は辞めたんです」

──松野さんは2003年に辞めてらっしゃいますね。永嶋さんが2003年でしたっけ?

永嶋國雄さん。原子力防災システム研究会を立ち上げ代表を務める。著書に『福島原発事故の深層』(eブックランド)がある。

 「正確に言うと同じ時までいた。私はさらにJNESができた時NUPECに残った。そういう人もいたんです。私は1年くらい残ったんです。なぜ行かなかったかって言うと『JNESに行くんだったら、検査部に行け』って言われたんです。緊急対策をやる仕事ではなかった。違ったことをやるんだったらこのまま残ると」

──松野さんは、永嶋さんの方が先輩で師匠に当たるとおっしゃっていました。

 「室長は松野さん。電力会社のポストになっています。ああいう外郭団体では、上の方は通産省のポスト。中間的なのは電力会社。実働として働くのはメーカー出身者です。辞める時は松野さんが室長で、私は部長のサポートをする調査役。まぁ、室長よりちょっと上くらいな感じ」

  「それでもう1つ面白い話がある。松野さんは、普通4年の任期なのに、4年より早く帰らせられた。これもプレッシャーなんですよ。それで四国電力に戻ったら、もう主要ポストじゃなかった。それはなぜかっていうと、その時にやってた仕事自体が電力会社にとってみるとあまり好ましくない」

──それは「シビアアクシデントが起きる想定をしてるのはけしからん」という反発ですか?

 「電力会社は『そういう事故は起こらないんだ』と言う。起こらないんだから『そういう仕事をしていること』を一般公開したら『そういうことが起こる』と考えていることになる。そうすると『今まで電力会社が言ってたことはおかしいんじゃないか』と、住民からすると思う。それを恐れたんですよ」