尖閣諸島を巡る日本と中国の対立はなお多様な波紋を広げたままだが、この対立では米国の反応がどうしても大きな要因として浮かび上がる。米国は日本の同盟国として尖閣防衛には日米安保条約上の共同防衛の責務を有するだけでなく、かつて尖閣を統治していた歴史があるからだ。

 だが米国政府は安保条約が尖閣に適用されるという認識こそ明確にするものの、尖閣の主権については「中立」という立場を繰り返す。日本側では米国の尖閣諸島への過去の関与や現在の日米同盟のきずなを考えれば、もう少し前向きの姿勢を見せるのが自然だという向きもあるだろう。

 ところが実は同じ米国の政府でも、尖閣諸島を日本に返還する前のアイゼンハワー(大統領任期1953~61年)、ケネディ(同61~63年)両政権は、ともに「尖閣の主権の帰属は日本にあり、やがてはその主権を日本に返す」方針を明確に認めていたことが明らかになった。

 その後、ケネディ政権の次に登場したジョンソン政権(大統領任期63~69年)も日本の主権をやや消極的ながら認めていたが、その後のニクソン政権(同69~74年)からこの主権に対し「中立」の立場を表明するようになった。

 だが、たとえ一定期間だけでも、米国という第三国が尖閣の主権の日本への帰属をはっきり認めていたことは、今後の主権の認定で大きな意味を持つと言えるようだ。

アイゼンハワー・岸会談で日本の尖閣に対する「残存主権」を確認

 米国の歴代政権による尖閣主権の認定は、米国議会調査局が2001年11月に上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に記載されていた。

 議会調査局は連邦議会付属の調査・研究機関であり、党派に偏らない中立性を保つ。同調査局が出す報告書は、議員たちの資料用とはいえ、米国議会の公式文書である。その中の記述は重みを持つこととなる。

 この報告書の中の「1945年から1971年までの尖閣諸島の米国による統治」という項にまず次のような記述があった。