ロンドンオリンピックでサッカー日本代表が大健闘している。7日(日本時間8日早朝)行われたメキシコとの男子準決勝は、44年前、銅メダルをかけて戦った時のリベンジをされる形で惜敗したが、まだ銅メダルのチャンスがある。なでしこジャパンは前日すでに決勝進出を決めており、日本サッカー界の躍進を世界は認めることだろう。
日本サッカー、奇跡の軌跡
男子代表チームが初戦でスペインに勝利した時、アトランタオリンピックでブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」に続くものと形容されていた。
しかし、日本サッカー界最初の「奇跡」と言えば、1936年のベルリン大会で強豪スウェーデンを3-2で破った「ベルリンの奇跡」。
国際舞台での実績が全くなく「無印」だった日本が優勝候補の一角を破った大番狂わせだった。
結局、トーナメント方式で次に当たったイタリア戦は0ー8で完敗、敗退することになるのだが、そのイタリアが優勝を果たす決勝戦の様子は『美の祭典』(1938)のなかでわずか5分ほどながら見ることができる。当時の世界レベルのサッカーがどんなものだったのかを知るのに大変参考になる映像だ。
ベルリン大会には、1940年の大会開催地候補となっていた東京を売り込む意図もあって、サッカー代表チームをはじめ大選手団を送り込んでいた。
そして、大会直前、第12回オリンピック開催地に東京が決まったわけだが、結局は、国際情勢の悪化から、自ら開催権を返上することになる。
この2週間ほど、テレビはオリンピック関連番組に占拠されているが、例年、この時期は第2次世界大戦関係のプログラムで埋まっている。
そこで思うのは、無念にも戦地に消えたメダリストたちのこと。
『美の祭典』にもその姿がある馬術の「バロン(男爵)」西竹一がまず思い浮かぶ。ベルリン大会では振るわなかったものの、1932年のロサンゼルス大会では金メダルを獲得し、現地の日本人・日系人にも大きな勇気を与えていた。