ロンドンオリンピックがたけなわである。特に開会冒頭から熱戦の幕を開けた柔道が世界規模の強い関心を集めている。日本でも国民的な熱狂の対象となっていると評しても誇張ではないだろう。

 日本だけの観点からすれば、男女ともに金銀のメダルを得られない階級が続出したことへの落胆もあろう。だからこそ女子57キロ級での松本薫選手の優勝は日本にとって大喜びのニュースだった。

 さて今回はこの女子柔道の国際化の歴史について、米国が果たした役割に光を当てながら、報告しよう。

 世界の女子柔道には男子柔道とは大きく異なる点がある。日本が主導役ではなく、米国や欧州がむしろ日本を誘導して、国際化、試合化、そしてオリンピックの正式種目入りを果たすというユニークな歴史があるのだ。

ワシントンで練習に励む全盲の女子柔道家

 その報告をする前に、私自身がなぜ、このように柔道を語る立場にあるのかを説明しておこう。

 私は日本では中学入学から大学卒業までの10年間、柔道を本格的に学んだ。それほど強くはなれなかったが、高校では関東大会優勝チームの一員となり、全国大会でも3位までいった。大学では中クラスの選手だったが、本格的な稽古を重ねた。卒業後の米国留学でも柔道の稽古や指導を続け、全米選手権の第3位になったことがある。南ベトナムでは全国チームの監督を務めた。現役時代は講道館4段、いまでは6段である。

 そしてここ10年以上、米国首都のワシントンにある「ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブ」で指導にあたってきた。このクラブは大学の柔道クラブと町道場を一緒にしたような感じで、米国東部でも最古、最大の柔道場である。

 このクラブで練習に出てくる女子は合計30人ほどで、全体の3分の1を占める。女子会員たちは高校生、大学生にはじまり、教員、医師、弁護士、航空管制官、最高裁書記官と、職業面でも多彩である。年齢でも10代から50代に及ぶ。専業主婦も子供もいる。米国の女子柔道全体の活気と多様性の反映だろう。事実、女子の試合は、首都ワシントンの地区大会から東部の地域大会、全米選手権まで実に頻繁に行われる。