石巻に行くたびに魚を食べる。地元の友人たちは当たり前という顔をして、おいしいなどと言わないが、久しぶりに産地の食材を味わうと、盛り上がっている話題を中断させてまでも、つい「おいしい」と叫んでしまう。

 どう、おいしいのか。一言でいえば、魚臭くないのだ。新鮮な魚は、腐敗が進んでいないから、ということだろうが、私たちが慣らされた魚の味、あるいは魚臭さは、産地から離れた魚の味や臭みであって、あれが本来の魚ではないということだと思う。

 特にホヤやウニなどは、産地以外で食べるものは、鮮度の差を超えて、似て非なるもの、と言う方が適切な表現だろう。

 鮮度が落ちて金属臭が強くなったホヤを、これがホヤの味だと自慢しながら食べている酒飲み(ホヤ好きはだいたい酒飲み)に出会うと、英国での紅茶史を思い出す。英国が中国から茶を輸入したときに、松の木で燻蒸した香りが残った紅茶を、英国人はこれが紅茶だと信じて、東洋の神秘だと言って飲んだのだという。

 私は、鮮度の落ちたホヤは苦手だが、クレオソートの香りがする松の木で燻蒸した紅茶「ラプサンスーチョン」は大好きで、いつも飲んでいる。この茶には、スモークドサーモンやチェダーチーズが合うと磯淵猛著『一杯の紅茶の世界史』に書かれている。

 臭いが強くなったホヤは、飲んだ日本酒を甘く感じさせる「効能」がある。思い込みにも効用はあるということだ。

「日本人の魚離れ」は本当か

 さて、思い込みの怖さの話は尽きないが、日本人が抱いている日本の漁業というイメージも、ずいぶんと間違った思い込みがあると思う。4年前に石巻で、水産業の取材を始めたときに、自分の思っていた漁業と実際の漁業との違いを思い知らされた。

 最近、水産資源の研究家である三重大学の勝川俊雄さんの近著『漁業という日本の問題』を読んだら、改めてその思いを強くした。

 日本の漁業が衰退していると言われると、そうだろう、日本人は魚を食べなくなったからなと思う。しかし、この著者はそうではないと説く。

 日本人が本格的に魚を食べ始めたのは戦後のことで、1人当たりの魚介類の消費量がピークになったのは、2001年のこと。明治時代の魚介類の消費量は、「魚離れ」と言われる現代の15%程度だというから、かつての日本人の食卓に魚料理を思い浮かべるのは思い込みにすぎず、魚はめでたいときなどに食べる「ハレの料理」だったということだ。

 それでは2002年以降は、魚介類の消費量が減っているので、今度こそ魚離れが進んだと言いたくなるが、決してそういうわけではない。