深川八幡の門前に屋台の蕎麦屋があった。屋号は「海老の天ぷらを載せて代金20文」にちなんで「二天屋」。

桜下の決闘 吉岡清三郎貸腕帳
犬飼 六岐著、講談社、1680円(税込)

 主人公の清三郎は「俺は二という数字が大嫌いだ」「今度、二天の文字を見たらお前の腕を斬ってやる」と凄む。気の毒な蕎麦屋のおやじは、「海老の天ぷらを3本にして三天屋に改めます」と言って、なんとか難を逃れる──そんなエピソードからこの物語は始まる。

 清三郎の稼業は貸腕屋。貸腕屋とは、まさに、剣の腕を貸して金を取る商売。用心棒が「守る」仕事であるのに対して、貸腕屋は「攻め」が本分。依頼人の仇に致命傷を負わせてなんぼ、殺してなんぼの商売。もちろん、腕に覚えがなければできない。

 宮本武蔵ファンならば、ここでピンとくるだろう。武蔵が晩年に完成させた兵法が「二天一流」。書画でも優れた才能を発揮した武蔵は「二天」の号で、いくつもの水墨画の作品を残している。

 清三郎は宮本武蔵をこの上なく憎み、ゆえに「二刀流」が死ぬほど嫌い。「二」という数字は見たくもない。ましてや「二天」など許し難し。つまり、この物語はアンチヒーローの物語なのだ。

 当然、殺伐としている。清三郎は自分の腕には圧倒的な自信を持っていて、「貸した腕の利息はキッチリ支払ってもらう。それを邪魔する奴は全て外道である」──としか考えていない。血も涙もない。

 時代小説と言えば人情や武士道精神を描くものという勝手な思い込みがあった。ストレートな人情物でなくとも、アウトローな主人公が束の間見せる人間的な一面にグッときたり、海外のハードボイルド小説ばりの超クールな生き様に惚れてしまったりする。

 しかし、清三郎にそんなことを期待してはいけない。一瞬、こんな奴にも人の心があったのか──と思わせる場面もあるが、その後、ことごとく裏切ってくれる。クールなどではなく、ただの外道中の外道。人間らしい感情はゼロ。信じるものは自らの腕のみ。斬り殺すことに何の痛みも感じない。徹底したヒールなのだ。

 しかし、なぜか後味は悪くない。不謹慎ながら、ちょっとスカッとする。それは、たとえ極悪非道でも、徹底したプロ意識、自らの腕に対する揺るぎない自信がみなぎっているからだ。プロ意識なく、前言撤回オンパレードの閉塞した政治ショーにウンザリしている時には、ちょうどよい口直しになる。