北海道根室市の納沙布岬の先端部に、「望郷の塔」という高さ九十数メートルの巨大な展望塔がある。かつて「平和の塔」と呼ばれていたものだが、ここの最上部にある展望室からは北方領土の一部、貝殻島から水晶島、天気がとても良い時は色丹島まで上から見下ろすように眺めることができる。

望郷の塔

 島の上のそこここにロシア国境警備隊の施設が配置され、望遠鏡を用いれば歩いている警備隊員や時々走るジープなどがよく見える。日本で“国境”を実感させる数少ない場所だ。

 しかし、我が国が主張している国境は、納沙布岬とこれらの島々の間に引かれているものではない。国後、択捉、色丹の各島と歯舞諸島は先の第2次世界大戦の結末には関係なく我が国固有の領土であると、戦後ずっと旧ソ連、ロシアに訴え続けているのである。日ロ2国間外交の常にメインテーマであったのが、これら北方領土問題だ。

力関係で引かれた“国境”の不安定さ

 我が国は、相手国に実効支配されているわけではない尖閣諸島等を含め、他にも隣接国家との間で領土問題を抱えている。いずれも、海洋や地下の資源開発を含めた経済権益と深く関わっており、国益に直結するものだ。

 したがって、2010年の時に尖閣諸島沖で違法操業容疑を疑われた中国漁船が海上保安庁巡視艇に体当たりという不法行為を働いたり、韓国が軍事占領中の竹島について何かとキャンペーンを張って「独島(竹島の韓国側呼称)は未来永劫我が国のもの」なんて主張を繰り広げたりすると、日本国民の中で怒りの感情が広がる。

 国民としては、当然な感情である。こうした世論が多数であってこそ、我が国は国際政治の場でも領土問題を含めた国益主張が行えるのだ。

 我が国周辺を含め、現在の各国間の国境ができたのは、18世紀から20世紀前半頃にかけてだ。時代は、先進国で工業が勃興し、その原料と市場を求めた海外進出や植民地獲得が展開された頃。時に国益の衝突で戦争が繰り返され、その結果として境界線が引かれていったのである。