半年前、筆者は発足間もない鳩山政権に対して外交・安全保障や地方分権などの面での不安を指摘した。その一方で、政権交代自体には意義を認め、選挙で選ばれた国会の多数派が責任を持って政権を主導するという政治の実現に期待した。
しかし、その期待は無残にも裏切られ続けてきた。政権運営は世論調査に左右されるべきではないが、20%に接近するほど低下した内閣支持率は国民の失望感をくっきりと映し出している。
首相と最高実力者の与党幹事長をめぐる「政治とカネ」、重要政策をめぐる閣内不統一、パフォーマンス先行で成果の上がらない「事業仕分け」、そして野党時代の強硬姿勢がウソのような官僚依存体質・・・。これだけ混迷と言行不一致が続けば、政権への信頼度が下がらない方がおかしいだろう。
一連の失態の底流には、マニフェスト(政権公約)の呪縛と最高責任者である鳩山首相の指導力・決断力不足がある。まだ民主党主導政権への期待感が残っていた2009年秋までの段階で、マニフェスト実現の可能性と妥当性について首相が必要な修正を指示していれば、政権がここまで深い傷を負うことはなかったはずだ。
民主党マニフェストは墨守すべき政策綱領なのか
そもそも、民主党が2009年8月の総選挙前に掲げたマニフェストは、ここに至っても墨守すべきほど良質の政策綱領だったのか。関係者によれば、マニフェストが作成されたのは選挙が間近に迫った慌しい中であり、事務局が作成していた政策インデックスから抽出する形で急造されたものだったという。
マニフェストを掲げて政権を競う伝統が定着している英国では、その作成がそれこそ1年がかりであり、2010年5月6日の総選挙でも昨秋の党大会を経て練りに練られた綱領が掲げられていた。
民主党はその英国を範とした上で「政治主導」の政権運営を目標としており、マニフェストにこだわる気持ちは分からなくもない。だが、今回のマニフェストの実現可能性については総選挙当時から疑問符が付けられていた。
選挙前に確たる財源の見通しもなくバラマキを主張した点は批判されて然るべきだが、「55年体制」成立後わずかに2度目の政権交代だから、ある程度の逸脱や修正が許される土壌はあったように思う。