日無坂

 タイトルの「日無坂」は、東京の文京区目白台と豊島区高田の境界に実在する。

 グーグルマップで見ると、白山通りから折れた「富士見坂」と呼ばれる道から分岐して、「Y」の文字を描くように広がっていく狭い道だ。本文の中で「両側は大名の下屋敷の土塀が続き、さらにその上から松や欅(けやき)などの大木が覆いかぶさるように生い茂っているので日中でも暗い」と説明されている。

 ストーリーの中には「富士見坂」は登場しない。しかし、「日無坂」が富士山を望む見通しの良い道から枝分かれした道であるということが、この物語を最も象徴的に表しているように思えてならない。

日無坂
安住洋子著、新潮社、1470円(税込)

 浅草の賭場を仕切る伊佐次。裏社会に生きる身の上ではあるが、小ざっぱりとした身なりに、折り目正しい立ち居振る舞いは、一見しただけでは、堅気の町人風情そのもの。

 というのも、もともと、伊佐次は江戸の老舗薬種問屋・鳳仙堂の跡取り息子として生まれた。本当の名は、利一郎という。本来ならば、日の当たる見通しの良い道を歩き、やがては、鳳仙堂の主人として安泰な人生を送れるはずだった。

 利一郎が日の当たらない脇道に逸れてしまったのは、父親との確執が原因だった。利一郎の父親は、丁稚として鳳仙堂に入り、物覚えの良さ、甲斐甲斐しい働きぶりで先代の主人から可愛がられて番頭にまで上り詰め、ついには、入り婿へと引き立てられた真面目一筋の人間。しかし、先代の主人が亡くなり、自分が主人の立場になっても、「丁稚上がり」の負い目から婚家に気を使い、姑の顔色ばかりを窺う毎日。だから、利一郎にはことさらに厳しく、子どもらしく親に甘えることを許してはくれなかった。

 そんな父親に対して利一郎は、幼い頃から小さな反発心を抱いていた。それは、「もっと愛されたい」「自分に目を向けてほしい」という思いの裏返しなのだが、その気持ちを素直に父親に伝えることもできないままに、少しずつ道を逸れて、転落人生を歩んでしまう。ついには勘当され、家を追われる。

 しかし、切っても切れないのが、親子の縁。

 父もまた、素直に息子に愛情を注がなかったことを悔いる人生。互いに不器用で、思いを上手く伝えられないがために、すれ違ってしまった父と子が、実は、誰よりも思い合って、気遣い合い、そして、運命の糸によって手繰り寄せられていく。

 伊佐次は、暗い「日無坂」を引き返して大通りに向かおうとした丁度その時、二度と会うことがないと思っていた父親と一瞬の再会を果たす。それは、裏社会に転落した脇道人生を引き返し、堅気の生活に戻ろうとしていた伊佐次の人生を象徴する場面でもある。

 私自身も、その地を訪れたことがあるわけではないが、「富士見坂」と分かれる「日無坂」を頭に思い浮かべながら読むと、一段と味わい深い物語。

 ちなみに、「日無坂」と「富士見坂」は、“坂ロケ” の名所で、しばしばテレビコマーシャルやドラマ・映画にも登場しているようだ。現在放映中の某清涼飲料水のCMにもほんの一瞬、映っているらしい。ゴールデンウイーク、ヒマを持てあましている方は、ネット検索を駆使しつつ、CMウォッチングを楽しんではいかが?