この10月からJR徳山駅前の商店街(山口県周南市)で、月に1度「哲学カフェ」を開催しています。お茶でも飲みながら気軽に哲学について語り合ってもらおうという試みです。誰でも無料で参加することができます。
徳山高専夢広場
〒745-0032
山口県周南市銀座2-9
月に一度、
哲学カフェを開催している。
私は徳山工業高等専門学校で哲学を教えています。哲学カフェは、もともと学内で開催していたのですが、ぜひ市民を巻きこんだ形で活動したいと思い、学外に飛び出すことにしました。第1回には学生や市民など、約20人が参加してくれました。
今まで実際に取り上げたテーマとして、次のようなものがあります。「どうして自由は責任を伴うのか?」「正しいことって一体誰が決めるの?」「心と体の境界はどこなのか?」「どうして人によって幸せの基準は違うのか?」などです。私もファシリテーターとして参加しますが、基本的にできるだけ参加者同士に言葉を交わしてもらい、お互いに思考を深めてもらうことを目指しています。
役割分担が進みすぎると “いびつ” な社会に
実は、こうやって街に飛び出して哲学カフェを開催するのは、私なりのまちづくりの一環なのです。
私が専門としているのは公共哲学です。「公共性」の概念を捉え直し、一人ひとりの市民がいかに主体的にまちづくりを担っていけるか、その方策を探っていくというものです。
そもそも、まちづくりは誰がやるべきなのでしょうか。一般的には政府や自治体の役目と思われているようですが、行政だけがやるものではありません。では、市民に任せるものなのか。それも違います。行政と市民が一体になって、みんなでやっていくべきものだと思います。みんなのことなんだから、みんなでやろうというのが公共哲学のベースです。
今、どこの市民も基本的にまちづくりは行政にお任せですよね。一部の熱心な人はいますけど、大多数の人は行政でやってくれと思っている。でも、自分たちが使う道路や駅前の商店街をどう整備するか、ゴミの収集や分別はどんな方法で行うかなど、自分たちの生活に関わることは、自分たちで当事者として考えていくべきなんです。
かつて商社マンをしていた時に台湾に留学しました。台湾では、タクシーの運転手も八百屋のおばちゃんも、ちょっと話すと政治、世の中の話になっていく。誰もが日常生活において、自分がやっていることと世の中を結び付けているんです。
一方、今の日本はあまりにも役割分担が進んでしまって、いびつな社会になってしまっている。効率的ではあるけど、弊害が出てきていると思います。市民と行政のどちらかだけがやるというのはおかしい。みんなが当事者意識を持つことが必要なんです。仮に行政がやっていることでも、「一部は私がやりましょう」と言ってもっと積極的に働きかけるような姿勢が欲しいですよね。自治体の側にしても、いかに市民の協力を得てまちづくりを進めていくかを真剣に考えるべきです。