米オバマ政権、「核態勢の見直し」で核使用を限定

ロシアの首都モスクワから約100キロのセルプホフにあるロシア軍のミサイル部隊研究施設で化学兵器防御用スーツを着用しているロシア軍兵士ら(2010年4月6日撮影)

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 同盟は4回にわたって、その性格を変えた。

(1)旧安保条約時代(1951~60)には在日米軍が日本の安全を維持した。そして、警察予備隊(1950)、保安隊(1952)、自衛隊(1954)が発展的にその役割の一部を受け持った。

2現新安保条約(1960~70)が締結されると、日本有事における日米共同防衛が明確になった。

3やがて、10年後の70年安保闘争を経て、条約が自動延長される時代(1970~91)に入った。実体は変わらないが、1年前の通告で条約を随時破棄可能な時代になったのである。

4冷戦後(1991~現在)、ソ連が崩壊すると、同盟漂流とも言われる時代を経験しつつ、周辺事態やテロ対応で日米が周辺や世界を舞台に協調する時代を迎えた。2000年のアーミテージ・ナイ報告と2001年の9.11テロが同盟の方向性を変える契機となった。

 こうして同盟は、日本の防衛と極東の安定に加え、国連を意識しつつ国際貢献を積極的に行う方向へと性格を変えた。そして、米軍は世界のために在日米軍基地を活用する一方で、自衛隊は多様な役割で世界に貢献しつつ日本の防衛のための諸制約を改善することになった。

 1996年の日米安保共同宣言、1997年の日米防衛協力ガイドラインの見直し、1998年の周辺事態法および2001年のテロ対策特別措置法がこれを支えた。

 総じて同盟は長い間、日米双方から高く評価されてきた。日本は、米軍駐留のため基地と後方支援を提供して日本の防衛と極東の安定を確保し、米国は、日本の軍備抑制と経済復興に配意しつつ拡大核抑止を含む安全を日本に提供した。

 周辺国もおおむね評価した。米軍駐留が日本の再軍備を制限し、一方でアジアの安定も保たれると考えたからであった。これらを踏まえ、日本は、周辺国に配慮しつつ、手段において抑制的ながら自衛隊を世界に関与させるようになった。

5つの危機シナリオと日米の期待感

 冒頭に述べた米国アジア研究所の報告は、主として運用面から、5つの危機シナリオを挙げている。シナリオ1と2は北朝鮮の核とミサイルの脅威、3は台湾海峡危機、4は日中の直接対決、5は日本の核武装で、いずれも同盟が機能するかどうかの確認である。

 シナリオ1では、米国が日本の国益を守るために行動すべきと考えるが、日本が軍事行動を嫌がり、2では逆に、米国が紛争の拡大を懸念し介入を躊躇する。ともに日米の期待感が一致しないケースだ。

 シナリオ3の台湾海峡危機で、米国は日米の政治的な合意がないまま介入を決意する。これは日本の政治決定と同盟の作戦的結びつきの強さを測る例になった。

 シナリオ4は、日中の直接対決事態において日本が期待するほど米国が支援しないケースで、尖閣列島問題のような場合だ。

 シナリオ5は、米国が警戒する日本の核武装である。拡大核抑止が機能しないと考えた日本が核武装し、米国は世界的な核抑止態勢が危ぶまれると危惧するのである。