ロシアは、今年5月9日にナチス・ドイツに対する戦勝65周年を祝う式典の準備を急いでいる。ロシアにとってはこの記念日のほかに、旧ソ連時代のもう1つの「勝利記念日」がある。

 それは9月2日の「日本軍国主義に勝利した日」である(1945年9月2日に、日本はソ連を含む戦勝国を相手に降伏文書に調印した)。

 ソ連崩壊後に対日戦勝記念日はなくなった。だが、3月23日にロシアの「独立新聞」は「近いうちにロシア議会にその記念日を復活させる議案が提出される」と報道していた。そのニュースをロシアの主要通信社が伝え、日本のマスコミも報じていた。

 日本では「ロシア政権による愛国心高揚策の一環」だという捉え方もあったが、一概にそうとは言えない。対日戦勝記念日の復活は今までにロシアで10年以上も取りざたされてきた。連邦議会でも復活させようという動きは何回もあった。ところが毎回政府に抑え込まれてきたのである。

 今回の議案提出には、クレムリンのバックアップがある。大統領府に近い筋によれば、記念日の復活は「大統領府での会議において議論され、極めて高い支持が得られた」(独立新聞)という。要するに、クレムリンからの合図を受信した議会が動き始めたわけである。

 プーチン・メドベージェフ政権の態度が変化した理由を考えると、鳩山政権の「4島一括返還論」と4島の「不法占領」決議への対応だと判断できる。

ロシア世論の反応は冷ややか

 しかし、ロシア世論の反応は政府とは対照的に冷ややかだ。独立新聞は、対日戦争は「ドイツとの戦争とは基本的に違っていた」と分析している。ロシア政府の公式見解とはかなり異なる見方である。

 ・日ソ戦争は、日本ではなくソ連の方から正当な理由なく攻撃を仕掛けた戦争である(ソ連は1945年8月8日に日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した)。

 ・日本の敗戦によってソ連は南サハリンとクリル(千島)列島を取り戻した。しかし、その領土のすべては、必ずしも日露戦争(1904~1905年)で失ったものではない。

 ・日ソ戦争で戦死したソ連兵は約8200人。ドイツとの戦争における戦死者の数は数百万人単位であり、それと比べると桁違いに少ない。

 ・対日戦争はよく計画され、実行されたものであった。しかし、国民の感情に火をつけるほどの「悲劇と栄光の出来事」とは言えない。そのため、国民の中にこれを記念しようという声は沸き起こっていない。

対日戦争を客観的に正しく見ようという動き

 真実を尊重して曇りのない目で歴史を見るのは、どこの国においても極めて難しい作業である。長年にわたって「国家による『公式』歴史観」が支配していた国では特に難しい。