自民党の元財務相・与謝野馨と前幹事長代理・園田博之が新党結成に動いたのは、総裁の谷垣禎一が率いる執行部では「自民党に明日はない」と見切りを付けたからだ。2010年7月の参院選をにらんで早い方がいいと判断し、無所属の元経済産業相・平沼赳夫と連携した上で一定の保守票の取り込みも狙う。しかし、今のところ自民党中堅・若手に動きが広がりそうな雰囲気はない。新党は反民主票を吸収しようと保守票の「受け皿」づくりを狙ったものだが、自民党の補完勢力と見られている中で有権者の支持はどれだけ広がるだろうか。その前途は厳しい。(敬称略)
「あっと驚くような若い人たちを起用しなければならない。国会の論戦で、政府与党を厳しく攻撃したり批判したりして、野党としての役割を果たさなければならない」「自民党が持っているいろいろな政策の軸、パラダイムを捨てて、国民が求める新しいパラダイムは何かということを、党内でもう一度再検討する必要がある。そうでないと、自民党に明日はないと思う」
2010年4月3日土曜日、自民党本部。与謝野は谷垣にこう注文を付けた上で、「わたしと園田さんは離党する」と7日付の離党届を提出した。谷垣は「与謝野さんとは大して考え方が違わないのに残念です」と述べたが、慰留の言葉はなかったという。
谷垣が涙で「加藤の乱」を引き止めたから・・・
ただ、与謝野と谷垣の間でこんなやり取りがあった。
「わたしは(元幹事長の)加藤紘一さんも止めたんです」と谷垣が語ると、与謝野は「それが悪かったんだ。それがなければ加藤さんは大政治家になっていた」と言い返した。2人は2000年11月の「加藤の乱」を振り返っていたのだ。
当時、加藤派が集まる中で元幹事長・加藤紘一は森内閣不信任決議案に賛成票を投じるため、衆院本会議の採決に出席しようとした。その加藤の肩をつかんで涙ながらに、「加藤先生、あなたは大将なんだから。1人で突撃なんてだめですよ」と引き止めたのが谷垣だった。