前回前々回は共産党「第6世代」について書いた。1960年代生まれの若い世代がいかに開明的といえども、共産党の独占的地位を維持しようとする限り、民主化を含む抜本的な党改革は難しいということだ。これが「中国株式会社」の限界なのだろう。

 それでは、中国で意味のある改革は未来永劫できないのかと問われれば、全く希望がないわけではない。歴史上、人類社会は常に変化し進化を続けている。中国と中国人だけがその例外であるはずはないからだ。

究極モデルは台湾か、シンガポールか

毛沢東と蒋介石の孫同士が台湾で面会

台北で面会した毛沢東元主席の孫の孔冬梅氏(右)と蒋介石中華民国初代総統の孫の蒋孝厳氏(2009年11月16日)〔AFPBB News

 現在の中華人民共和国は歴史上前例のない巨大な実験である。その将来がどうなるかを正確に予測することは難しい。しかし、大きく分ければ可能性は、共産党独裁を維持し続けるか、民主化が始まるかの2つしかないだろう。

 その2つの可能性を占うカギは今の中国にはない。国内の反対勢力が徹底的に弾圧されているため、民衆の「経済的欲求」の満足が、どの程度まで「政治的要求」に昇華していくかを正確に予測することができないからだ。

 だからといって諦める必要はない。世界には中華人民共和国以外にも、中国人が統治する国家・地域があるからだ。誤解を恐れずに申し上げれば、今後中国で何かの弾みで真の民主化が進んだ場合には、台湾がそのモデルとなる。逆に今のままなら、シンガポールあたりが参考になるだろう。

台湾モデル

 若い読者には想像できないかもしれないが、筆者が外務省入省前に台北で中国語を学んでいた1970年代中頃、台湾は国民党の一党独裁体制下にあった。人々の経済的自由は保障されていたが、政治的自由は認められなかった。

 それでも当時の台北の街は活気に溢れていた。多くの中小企業が日本など外国から技術と資本を導入し、後に「アジアのドラゴン」などと呼ばれた高度経済成長が始まりつつあった頃だ。個人的には1990年代の上海のイメージに近いと思っている。

 その後も台湾の経済成長は続き、1990年代には台湾でもバブルが発生する。1996年、20年ぶりで台北を訪れた筆者は、その昔、比較的気軽に遊びに行けたクラブが銀座並みの値段になっていると聞いて驚いた。もちろん、その晩は居酒屋で飲んだ。

 1990年代は政治的にも激動期だった。民主化の動きは何と一党独裁だった国民党内部から始まった。96年には民主的選挙で李登輝総統が再選され、その後野党であった民進党の陳水扁党首が初めて国民党以外の総統に選出された。