日本の再活性化のためには「イノベーション」が必要だ。中でも、カリフォルニア大学バークレー校のヘンリー・チェスブロウ教授が提唱する「オープンイノベーション」という考え方が最近、注目されている。
チェスブロウ教授は、従来の「研究→開発→生産→販売」を全て1社で行う、いわゆる自前主義の経営戦略を「クローズドイノベーション」と呼んでいる。これに対して、「オープンイノベーション」は、他の組織や集団の技術力、人材、組織力などの経営資源をうまく活用し、新しい事業・ビジネスモデルを、より効率的に早く実現するやり方だ。大企業によるベンチャー企業の吸収合併・M&Aや、戦略的提携も、一種のオープンイノベーションと考えられる。
残念ながら、クローズドイノベーションの成功体験がある日本の大企業は、一朝一夕に従来のやり方を変えることがでない。
戦後日本はオープンイノベーション社会だった
ここで、「イノベーション」の歴史を振り返ってみよう。
第2次世界大戦後の1950~60年代、戦勝国である米国は政治・経済の両面で世界のリーダーの地位を獲得し、自前主義を謳歌していた。かたや、敗戦国・日本の50年代は戦後復興期にあたる。労働力も生産設備にも痛手を負った一からの立ち直りのためには、外国から技術を導入するオープンイノベーション的発想で企業経営をせざるを得なかった。
1960年代になると次第に日本企業は復興期から成長期に入り、基礎研究に注力する余裕も出始めた。さらに、70年代には2度のオイルショックを乗り切り、自前主義の大企業が増加し、高度成長を達成して「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とも称されるようになった。この時代の日本企業の漸進的・改良型イノベーションは世界から高く評価された。
1980年代は、日本の産業競争力の優位性に対するやっかみから、欧米各国から「基礎研究ただ乗り」との批判を浴びるようになる。日本企業は研究開発費を拡大、有力企業が基礎研究所などを次々と設立させて、自前主義を強化していく。同時に、研究の自己充足性が高まり、内向き思考や閉鎖性が強くなり、技術提携が減ったことも否めない。